社長コラム

三国志から学ぶ(その7)-WHY(目的)・HOW(目標)・WHAT(計画)

先月コラムは、曹操の人間味溢れるリーダーとしての側面(人心掌握力)について述べた。
今月コラムは三国志から学んだことの本質を、現代経営の根幹であるWHY(目的)・HOW(目標)・WHAT(計画)に整理しながら語っていきたい。

(注:劉備玄徳=劉備 ・曹操孟徳=曹操 ・孫権仲謀=孫権 ・諸葛亮孔明=孔明)


三国志は魏(ぎ)・蜀(しょく)・呉(ご)の三国が争覇した歴史を描いた書物であることは周知のとおりである。
何故天下統一が成されずに三国の時代になったのか?何故孔明は「天下三分の計」を提唱したのか?
その真の目的は何か?冒頭で述べたWHY(目的)・HOW(目標)・WHAT(計画)とは何を意味するのか?
まずは例として坂本龍馬、次に会社創業者、さらに本題である三国志の何故をこれから紐解いていきたい。


1)龍馬の何故
著者が敬愛する坂本龍馬のWHY(目的)を考えてみよう。龍馬は何故、命をかけ故郷土佐を脱藩してまで江戸に向かったのであろうか・・・天から与えられた我が命を、何か世の中の人の役に立つことに使いたいという使命、立志からくるものであろう。
では、龍馬の生涯のWHY(目的)は何か?

①日本を海外列強諸国から守り、自主独立国家にする。

②日本を産業立国にし、日本の経済基盤をつくる。

その目的の実現方法、手段となるHOW(目標)は、①倒幕(薩長同盟) ②大政奉還による明治維新、その目標の実現のために、具体的に何をするかのWHAT(計画)は、①国内造船技術の振興 ・国産造船所の建設。②世界を相手に自由交易する海運商社、海援隊の設立となる。


ここで判ることは、最初の入口としてWHY(何故これを行う必要があるのか?)から始まり、次に意義(これを行うことの意味、価値とは何か)・使命(社会の役に立つこと)それがビジョン(進むべき方向性)へとつながっていくことである。
それらの意義・使命・ビジョンを総称したものがWHY=目的(行動の理由)となり、すべての最初の出発点はWHY、何故から始まるのである。


2)会社創業者の何故
会社創業者に、何故この会社を設立したのか?その設立の意義・目的は何か?と問いかけたとすれば創業者は何と答えるであろうか?
企業の経営資源は・人・モノ・金・情報・時間であるが、それらの経営資源を活かすための企業経営のWHY(目的)は何か?何故この事業を行う必要があるのか?またこれらの経営資源を組織に最適配分するトップの役割は何か?
これらを大きく分けると①方向性を示す②権限委譲③組織を整える④模範(徳と才で人望を得る)の4つとなる。


WHY(目的)は企業の方向性を示すためのもので、理念(企業の存在価値)・ビジョン(理念という旗をもって進むべき方向性を示す)・使命(企業の存在理由=何を達成したいのか)から構成されている。
HOW(目標)はWHY(目的)の実現手段であり、定量的(数字)と定性的(数字で言い表せないもの)があり、企業の基本戦略を立て組織(部署)に権限委譲し、組織を整えていく。
WHAT(計画)はHOW(目標)基本戦略・組織構築を具現化したもので、目標達成のための準備、段取り、手順を考え、対象を明確にして、計画(いつから、いつまで、何をする)に落としていく。
その運用方法はP(行動計画)⇒D(実行)⇒C(PとDとのギャップ、原因分析)⇒A(改善案)⇒P(修正行動計画)手法としてスパイラル効果を用いながら動かしていく。
現代経営では、これらを統括的に運営していくためのマネジメント(運営管理)が求められる。その目的として、企業統治(コーポレートガバナンス)=企業不正行為の防止と競争力・収益力の向上があり、その目的の実現手段のHOW(目標)に内部統制(組織の適正を確保するための体制)①組織基盤の確立②ルール化の実施、WHAT(計画)としてはコンプライアンス(企業の社会的責任を守る法令遵守=就業規則・プライバシーマーク等)がある。


3)三国志の何故
魏・蜀・呉三国それぞれの事情にもよるが、WHY(目的)・HOW(目標)・WHAT(計画)の違いは何であったのかを考察していきたい。

○魏-曹操
時代背景は漢王朝の衰退末期、秩序は崩壊し国政は乱れた変革期にある。漢帝を廃し董卓が実権を掌握しようとした頃は、曹操は董卓の配下として従属していた。
董卓の悪政に業を煮やした曹操は董卓を暗殺しようとするが失敗し逃亡した。逃亡中曹操は自身が君主となり天下の実権を掌握し、新たな政治経済の秩序を創り出すことに行動の理由(WHY=目的)を見出した。
董卓死後の群雄割拠から抜け出すために①天子の奉載(政治的利用)②権限委譲による組織強化(人材の登用)③優れた戦略・兵法理論の構築(智略・計略)を行った(HOW=目標)。
それらのHOW(目標)を具現化するため

 ①領土拡大のための準備

 ②軍備の拡充(軍備の充実)

 ③食糧の充足(屯田制の実施)

 ④信義の確立(信賞必罰)

 ⑤人材育成計画

 を立案した(WHAT=計画)。後継者問題の成功と失敗を分ける鍵は準備力であることを曹操は誰よりも知っていた。
三国時代の勢力図また地政学的に見ても、魏が一番の強国であり、曹操が一番の権力者であったことは間違いない。
天下統一を真剣に目指し、一番それに近かったのは魏であった。それは魏王曹操の野心からくるものであろう。


○蜀-劉備
赤壁の戦い当時までの劉備軍の勢力図を見ると三国の中では一番の小国であった。魏軍の呉国への進攻(南征)を劉備軍と呉軍が軍事同盟により抗戦した「赤壁の戦い」の実質的な戦略構築は、劉備軍に仕えて間もない天才軍師孔明が策定した。
この赤壁の戦いの勝利は呉軍であったが、軍師孔明の思惑どおり漁夫の利を得た劉備軍はその後勢いを増して蜀王となり一大勢力基盤を築いた。
劉備が蜀王になり領土問題(荊州)で劉備は呉王の孫権と対立、孫権は魏王の曹操と組んで荊州は孫権の手に落ちた。


○天下三分の計
漢王朝の衰退に端を発した群雄割拠時代当初、劉備のWHY(目的=理念・使命・ビジョン)は、忠義(漢王朝の血筋を受け継ぐ自分が衰退した漢王朝の再興を担うこと)で再び社会の秩序を回復することであった。
その目的の実現手段としてのHOW(目標)は、劉備が軍を起こし、同志や軍師を募り、組織編成し、自身が忠臣として漢帝を支えることであった。
それを具現化するWHAT(計画)は、曹操が政治利用している漢帝を救出し、自軍の保護下に置き、軍の拡張により、賊軍の一掃を図ることであった。その目的を漢王朝が滅亡したことで失った。
しかし軍師孔明が提唱した「天下三分の計」により、新たな目的(天命で授かった蜀の王となり政治・経済・社会の秩序を守る)を見出したのではないだろうか。「天下三分の計」は、漢王朝の衰退で崩壊した社会の秩序を巍・蜀・呉の三国によりバランスを保つという考え方である。おそらく孔明の中庸思想からくるものであろう。
この考え方は公園でよく見かけるシーソのテコの原理のようである。シーソに乗る双方の乗り手の体重(重量)の関係と重心(中心軸)をどこに置くかの割合でバランスが決まる。テコの原理をそのまま魏・蜀・呉に置き換えると、その時の状況にもよるが三国の立ち位置が見えてくる。
広い国土を治めるまでには時がかかり、その間社会の秩序は乱れる。その蜀の民衆の秩序を守るために蜀を攻めてくる魏、呉と戦った三国の勢力図、地政学的に見ても、蜀は天下統一を目指しているわけでなかった。孔明が盛んに魏を攻めたのは、長期的視点での蜀の将来の憂いを見通した孔明の防衛策であり、「攻撃は最大の防御なり」の軍事行動からくるものである。
「天下三分の計」は、大所高所の視点で先を見通した孔明の優れた識見から考察されたWHY(目的)であった。その目的の実現手段HOW(目標)は、劉備軍の軍師として智略と計略の限りを尽くし、関羽・張飛・趙雲らの猛将を率い蜀国を手中に入れ、敵国からの侵入を防いだことであろう。


三国志の戦いでは、多くの撤退の場面が出てきた。学んだことは「撤退は敗走にあらず」である。目的のための手段
として、勝ち目のない戦いで兵力を無駄にせず、次の戦いのために兵力を貯え温存することである。
企業経営にも通じることである。目的の下に目標があり、目標の上に目的があることを忘れてはならない。
WHY、何故があるから世の中は進歩していく。このことは過去の歴史がそうであるように未来も同様である。
次回の三国志から学ぶ-WHY(目的)・HOW(目標)・WHAT(計画)は後篇へと続き、呉について語っていきたい。


平成28年12月30日


 

三国志から学ぶ(その6)人心掌握力ー曹操孟徳(後篇)

先月コラムは、劉備玄徳とは対極的手法で魏国を治めた、もう一人のリーダー曹操孟徳の人心掌握力
4つの側面(1.合理性を重んじた政治家的とての側面. 2.智略を重んじた兵法家としての側面.3.人間洞察力により人心掌握する側面. 4.文人・詩人としてに側面(漢詩))について述べた。
今月コラムは、曹操の人間味溢れるリーダーとしての側面(人心掌握力)について語っていきたい。

(注:劉備玄徳=劉備 ・曹操孟徳=曹操 )


リーダーの役割は大きく①方向性を示す②組織を整える③権限委譲する④模範となる(部下から尊敬される)の4つである。その中でも「組織を整える」ことが一番の役割である。では見えない部下の心を、どうやって一つに束ねるか?
劉備は正義という理念(使命)と徳により部下の人望を得て組織を一つに束ね、曹操は才知(智略)で組織を一つに束ねたと先月のコラムで語った。
ただ、才知(智略)だけでの人心掌握には限りがある。人間には情(感情)があり、誰もが情理、感情と理性を持ち合わせている。曹操は頭脳明晰で合理性を重んじるイメージが強いように見えるが、実は彼の根底には深い情が存在する。曹操はそれらの情理を、巧みな例えで表現し、言葉の力で人心掌握したリーダーであった。


リーダーは自らの考えを言葉につくり、言葉は行動をつくり、言葉は習慣をつくる。リーダーの発する言葉の力は大きい。人間は理性よりも感情で動くと言われている。最終的には「あの人と仕事がしたい。あの人についていきたい」と思われるような、人間の魅力が人を引きつけるのであろう。


では、曹操の人を引きつける人間味溢れるリーダーとしての側面(人心掌握力)を三国志の中から、筆者が特に印象に残り、心に染みた事例をここに記していきたい。


(赤壁の戦いで大敗し、戦場で多くの兵を失い、帰還して泣いている部下の許楮に発した曹操敗戦の弁)


  猛将たる者は血は流せど涙は流さぬものだ。勝敗は兵家の常である。憤るな。憤ると知恵が働かなくなる。
敵を恨むな。恨みは判断力を欠落させる。己の敵を恨むより、利用するほうが得策だ。人生でトラブル遭遇することは必ず来る。
その時にどう生きるかが問題である。前を見て、そこから早く立ち上がり、前に進むことが出来るかである。終わったことはしようがない。現実を受け入れ、今どうするかが大切である。
現実のトラブルに遭遇した時はイライラせず腹を括る。失敗とどう向き合うか?山は逃げない。撤退する勇気を以ってこれからの人生を生きていく。事を成すには恐れずに進み、結果だけを気にしてはならない。
戦も同様に勝ち負けに動じてはならぬ。確かに我が軍はこのたび大きな打撃を受けた。しかし兵はまだ残っている。傷ついてはいない。危機に貧すれば結託して共に敵に立ち向かえ。ひとたび勝利すれば、裏で騙し合いが起き、必ずや分裂する。


  将とは医者のようななものだ。医者は経験を積むことにより術を磨く。言い方を変えれば失敗が多いほど医者の腕は上がる。将は負け戦を経験しなければ勝ち方を学べないものだ。
この世のどこを探しても百戦百勝の将はおらぬ。負けても腐ることなく勇ましさを増してこそ、最後には勝利を収められる。この度は負けるべきして負けた。その理由は我が軍はここ数年、勝ち戦が続き、奢り高ぶっていたことだ。
怠慢になり敵を甘く見て有頂天になっておった。この度は負けを味合う時が来るべきして来たということだ。失敗は良いことである。失敗が成功の方法を教えてくれる。失敗がいつかは我々に勝利を導き、失敗が天下を取る方法を教えてくれるのだ。
だから寝たら忘れろ。笑え。許楮よ、集合の太鼓をたたけ。


上記は(曹操が部下に発した赤壁の戦いの敗戦の弁であるが、)実に人間味に溢れる味わい深い言葉である。
人心を捉える説得力のある言葉の力に深い感銘を受けた。実はこの敗戦で野望を打ち砕かれ、一番傷つき、落胆しているのは曹操自身である。
この現実をまず誰よりも受け入れなければならないことは彼自身が一番知っていた。


筆者自身も苦い現実と直面した経験が多々あり、その心情は痛いほど解る。ただリーダーが落胆ばかりしても何も始まらない。
部下も自分の姿を見て不安に思うだろう。こんな時リーダーはどうするべきか?曹操は自分を支えてくれている部下達の落胆した姿を見て、自分が今何をすべきかを感じ取った。
疲弊した部下達を鼓舞奨励し、再び組織に火をつけ、自らの気持ちを奮い立たせた。これにより、以前よりも増して、部下達から尊敬され、信頼される存在になるのである。


百田尚樹氏による小説 「海賊と呼ばれた男」 出光興産創業者の出光佐三は終戦から二日後の8月17日に、戦争ですべてを失った会社の社員一同に対し3つのことを伝えたという。

1.愚痴を止めよ

2.世界無比の三千年の歴史を見直せ

3.そして今から建設にかかれ。


リーダーは危機の時のために存在する。危機は必ず来る。組織が上昇気流にのっている時はリーダーは部下に任せてあまり口出しせず、調子に乗り出した時は落ちてくることを見通し、先に手を打っておく。
ピンチ(危機)をチャンス(好機)に変える。それこそがリーダーの真の務めと言える。まさにピンチはチャンスなりである。
それにしても、現場の部下達の心を掴み、感性(過去の失敗経験から学んだ気づき)に訴えた曹操の敗戦の弁は、実に説得力がある。


曹操は国家統一を目指す権力/権威者で、大胆かつ繊細、清濁併せ呑む、聡明な合理主義者である。
才知が際立っているため、周りからは警戒された。三国志の主人公劉備側から見た曹操はヒール役、悪人の役回りであるが、人間曹操を洞察すると、これほど人間の持つあらゆるもの(本能/野生・知性/合理性・欲徳・情理・感性/論理性・猜疑心/警戒心・権威/権力)を持ち合わせた傑物はいない。
人の正悪、清濁合わせ飲んだ人間臭く、興味深い人物である。人の心のあやをどれだけ読むことが出来るか?そこが曹操の最大の魅力であろう。


先月、今月コラムは英雄曹操の人心掌握力について述べた。英雄と言って真っ先に思い浮かぶのが英雄ナポレオン・ボナパルトである。
ナポレオンの名言に、「一頭の狼に率いられた百頭の羊の群れは、一頭の羊に率いられた百頭の狼の群れにまさる」 がある。
例えると曹操、劉備の両雄は 「一頭の百獣の王ライオンが、百頭の狼の群れを率いた」 かのようである。彼のもう一つの名言にはこう書かれている。 「リーダーとは、希望を配る人のことだ」危機の時こそ、組織を鼓舞奨励し、未来と希望を語り、希望と自信ををもたせることで、組織を動かすことがリーダーの大きな務めであることは疑う余地もない。


来月コラムは三国志から学んだことを現代経営にどう活用していくか?
WHY(目的)・HOW(目標)・WHAT(計画)ついて、述べていきたい。


平成28年11月30日


 

三国志から学ぶ(その5)人心掌握力ー曹操孟徳(前篇)

先月コラムは、劉備玄徳の徳による人心掌握力について述べた。今月コラムは劉備玄徳と対極的な手法で魏国を治めたもう一人のリーダー曹操孟徳の人心掌握力について語っていきたい。

(注:劉備玄徳=劉備 ・曹操孟徳=曹操 )


「我、人に背くとも、人、我に背かせじ」=私が人を裏切ったとしても、人には私を裏切らせない。
誰も私に逆らうことは許さない。 私のする事は正しいと、先月コラムで紹介した曹操の言葉である。
中国故事、十八史略に「治世の能臣(のうしん)、乱世の奸雄(かんゆう)なり」という曹操を評しての言葉がある。
治世(平和な世の中)であれば、ただの優秀な官僚でしかなかったが乱世では、機略に長け、悪知恵もはたらく、とんでもない英雄、または大悪党という意味である。
英雄は乱世に登場するものかもしれない(※奸雄=悪知恵にたけた英雄)


「英雄」という言葉はどちらが(劉備と曹操)ふさわしいか?と聞かれれば、筆者は迷わず曹操と答える。
では英雄とはどんな人か?辞典には「すぐれた才知・実力を持ち、非凡な事をなしとげる人」と記されている。
ただ英雄とはここぞという時に、大義名分を掲げ、時には残忍なことも出来る人であることも事実である。
中国史における前漢、初代皇帝の劉邦に敗れ去った宿敵項羽、日本史では織田信長がその残忍な側面を持ち合せた英雄の例として挙げられる。
英雄とは改革者を超えた革命家であり、既存勢力(反対勢力)を破壊する分だけ、当然痛みを伴うものであろう。劉備は徳が際立っているためか、その残忍さを全く感じさせないのである。だだ曹操と劉備の共通項は、才知(曹操)と徳(劉備)の違いこそあれ、乱世を見事な人心掌握力により多くの優れた部下(智将・猛将)の心を一つに束ねた点にある。


劉備と曹操の違いを述べていくと、どちらかといえば劉備が世の中が比較的安定している平時(改善型)のリーダーとすれば、曹操は時代の混乱期/変革期に登場するような有事(改革型)のリーダーと思われる。
正義についての目的と手段の考え方にも違いはある。劉備は何が正しいか何が間違っているかの正義を基準とした考え方に対し、曹操は正義よりも、現実の課題を上手く裁くためのマネジメントの考え方を重視した。
劉備は正義こそが目的であり、曹操は正義を手段として政治に利用するしたたかな面を持ち合わせ、ある意味大義名分という目的のためには手段を選ばず、大胆な手法を選択するような一面がある。
他方劉備は曹操とは逆で正義という目的(自己理念・使命)に手法(考え方のプロセス)が紐づいているかを重んじる。ただ何が正しいかという正義とは人それぞれ個々が置かれた状況によっても違う。歴史上、正義は時として大義名分となり政治に利用されることもある。


二人を経営者タイプでみると劉備が正義(何が正しいのか)理念・使命を重んじる稲盛和夫に近いタイプとすれば、
曹操は孫子の兵法(才知・戦略)を重んじる孫正義に近いタイプのように思える。いずれにせよ二人の個性、考え方
の違いはあるにせよ中庸(バランス)を保ちつつ柔軟性のある最適な判断・決断がトップには求められる。


では曹操とは一体どのような人物か?その人物像を語っていきたい。

1)合理性を重んじた政治家としての側面
曹操という人物を語る上で、筆者が最も衝撃を受けたエピソードがある。
逃亡中の曹操と同志陳宮は曹操の古い知人である呂伯奢の屋敷を訪ねたが呂伯奢は留守にしていた。
家人の歓待を受けたのだが、曹操の勘違いでその家の者を皆殺しにしてしまった。その後呂伯奢が帰宅したところで呂伯奢をも殺してしまった。殺した理由は二つある。
一つは呂伯奢は家人を殺されたこと知らず、それを知ることで悲しむであろうという事。もう一つは、曹操が呂伯奢に恨みを買わないためである。
相手にとっても、自分にとっても相手はここで死んだ方が幸せだと、何事も大義名分に置き換える合理主義者である。
目的のための割り切り方の凄さ、判断・決断・実行力までの迅速な対応力は人間離れしており、驚くべきものがある。劉備には到底できないことである。
この事件により同志陳宮は曹操とは決別した。普通の感覚を持った人から観れば、曹操は非情であり、恐ろしい人物として映ることは間違いない。同時に英雄的でもある。
ある意味英雄とは情(人間味)と理(合理性)を極端に持ち合わせた人間なのかもしれない。


2)智略を重んじた兵法家としての側面
一言で曹操を語ると洞察力に優れ聡明で頭脳明晰な人物である。類まれなる才能を持ち合わせ、かの有名な孫子の兵法を編集し「魏武註孫子」として、後世に伝えた優れた兵法家の側面を持ち合わせた知恵者である。
その理由は①優れた感性とロジック(論理性)高所大局的な視点での考察力②戦略家としての情報収集力③情報を読み解く力(情報リテラシー)からくる。
孫子の兵法が現代で読めるのは曹操のおかげである。


3)人間洞察力による人心掌握する側面(曹操の命乞いに応じ、曹操を逃す関羽=劉備の義弟)
赤壁の戦いで劉備・孫権の連合軍に敗れた曹操は、息も絶え絶え、戦場を脱出し、ここに追討軍が現れると終わりだという窮地に追い込まれた。
その時追討軍として、曹操の前に立ちはだかったのが、かつて曹操の恩情を受けて、一時期魏軍に帰順した関羽であった。これで万事休すかと思われた時に、全てを捨てても、野望の為に命乞いする曹操。恩情を思い出し、それを殺せない関羽。
苦悩の末、遂に関羽は道を空け、曹操の命乞いに応じ、曹操を逃す。関羽は己の使命より、恩を選んだ。義理・人情に厚い関羽の優しい性格を見抜いていた曹操は卓越した人間洞察力の持ち主であった。


4)文人・詩人としての側面(漢詩)
曹操は文人・詩人でもあった。詩集として・苦寒行(くかんこう)・歩出夏門行(ほしゅつかもんこう)・短歌行(たんかこう)がある。
その中でも特に短歌行(たんかこう)の一節は何とも味わい深いものである。
(原文)「対酒当歌 人生幾何 譬如朝露 去日苦多」

  酒を前にしたらとことん歌うべきだ。人生がどれほどのものだというのか。まるで朝露のように儚いものだ。
毎日はどんどん過ぎ去っていく。思いが高ぶり、いやが上にも憤り嘆く声は大きくなっていく。だが沈んだ思いは忘れることができない。どうやって憂いを消そうか。ただ酒を呑むしかないではないか。(現代訳)


曹操は大器である。その大きな器の中には清濁併せ呑むようなものが混在し、その人物像は一口には語れない。
今月コラムは主に曹操の人物像について語った。来月は、人心掌握力ー曹操孟徳(後篇)人間味溢れるリーダーとしての側面について、続きを述べていきたい。


平成28年10月31日


 

三国志から学ぶ(その4)人心掌握力ー劉備玄徳

今月コラムは組織内の見えない部下の心を一つに束ね、軍師孔明、将軍関羽・張飛らの優れた専門家を活かした劉備玄徳の人心掌握力について話していきたい。

(注:劉備玄徳=劉備 ・曹操孟徳=曹操 ・諸葛亮孔明=孔明)


企業で事業を成功させる条件には1.天の時(実行タイミング)2.地の利(立地条件)3.人の和(内部の団結)がある。
その中でも人の和が最も重要と言われている。内部が一枚岩であれば危機的な状況の時にでも互助で危機回避出来るからである。
そのための内部組織とトップとの信頼関係が大前提となる。
劉備は高徳、謙虚、信頼をもって部下達の支持を得た。これにより、1.人材を招致し2.人心の掌握を実現し、多くの困難を部下達の働きで乗り越え、蜀王となった。
劉備は徳(人柄)で人望を集めたリーダーであった。


では、劉備の人を惹きつける魅力、人の心を動かすものとは何であろうか?その実例を挙げてみる。

1)桃園の誓いー劉備、関羽、張飛が桃園で義兄弟の契りを交わす。
「我ら三人、姓は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い困っている者たちを救おう。上は国家に報い、下は民を安んずることを誓う。同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、願わくば同年、同月、同日に死せん事を」。
国を治めるための劉備の三つの掟には①義理(命よりも重んじるもの)②勇気(身の危険、恐れを知った上で立ち向かう)③軍規(規律・ルール)がある。
この桃園の誓いにより三人は義理(命よりも重んじるもの)で固く結ばれた。


2)長坂坡の戦い(ちょうはんはのたたかい)ー曹操軍の追撃から民衆を守る劉備軍との戦い。
曹操軍の追撃を受けてしまうため、孔明は劉備に最初からしたがってきた領民を置き去りにすることを進言した。
だが領民を守ることが君主の務めであると考える劉備は孔明の進言を聞き入れなかった。論語の五徳(仁・義・礼・智・信)中でも、劉備は仁義 (思いやり、慈しみ・道徳上守るべき道筋)を重んじた。
大業の成就を願うならば、「人心とは仁義をもってつかむもの」を信条とし、民衆の心を第一に考えた。
論語「民、信なくんば立たず」では、信義(相手の信頼を裏切らない誠実さ)が失われては、社会そのものが成り立たなくなると書かれている。
まさに劉備の本質を鋭く表した故事である。


3)三顧の礼ー劉備が無位無冠の諸葛孔明を軍師に迎えるために、礼を尽くしてその草庵を三度も訪ねた。
孔明は劉備の誠実で謙虚な態度に感激し劉備に仕えることになった。人間力=能力(才)+人格(徳)とするなら、曹操は能力(才)で、劉備は人格(徳)で人を惹きつけた。


ここに、劉備と曹操の違いを見事に言い表した対照的な二人の言葉がある。
劉備ー「我、人に背かれるも、我、人に背かず」=私は人に裏切られても、私は人を裏切らない。
自分に厳しく、人に肝要である生き方を貫きとおした。
曹操ー「我、人に背くとも、人、我に背かせじ」=私が人を裏切ったとしても、人には私を裏切らせない。
誰も私に逆らうことは許さない。 私のする事は正しい。国家統一を目指す曹操らしい言葉である。


劉備と曹操は共に天下平定を目指していたが、その考え方に大きな違いがあった。
劉備は漢王朝の血を引き、衰えた漢王朝の再興のための天下平定であり、他方、曹操は漢王朝にとって代わる野望からくるものであった。
リーダーシップのスタイルには2つある。曹操は才と権力による牽引型リーダーシップ、劉備は徳と仁義、権威、秩序を重んじた奉仕型リーダーシップのタイプにみえる。


曹操は英雄タイプ(織田信長・足利尊氏)大義・才知で人を惹きつけたのに対し、劉備は忠(楠正成・大石内蔵助)信義、徳で人を惹きつけた。
曹操が権力による覇者を目指したため、人から警戒心を抱かれ、怖れられたのに対し、劉備の特徴は私利私欲が全くなく、漢王朝の権威復興・世の秩序を目指した公人であった。
徳が高いため周りから警戒されることも怖れられることもなく、人心を掌握できた。社会、領民の苦しみを我が苦しみとし、社会、領民の喜びを我が喜びとした公徳心に厚い君主であった。


企業のトップに置き換えてみると、人を動かすものには、利害損得・権力(権限と力)・権威(威厳と寛容)・愛(徳・思いやり)・理念(正しい考え方)がある。「おごれるものは久しからず」の格言にある、権力や怖れの力関係だけで動かすにも限界がある。では果たして愛が多ければ人は動くのだろうか?
劉備は愛に加え、権威と理念(信義)・使命により人を動かしたのであろう。何故なら、権力は上からの権限、利害(損得)のみで、権威は威厳・人格・人望(人心掌握)下からの支持で人を動かすものである。ただ権威はあっても、考え方、理念(価値観)を誤まると論外である。
そして正しい理念がないと方向性を見失う。どこに進めばよいのか迷いを生じる。つまり理念とビジョン(正しい方向性)をトップが示さなければ、組織全体が間違った方向に向かう危険性が生じる。 理念とはトップの考え方であり、旗を掲げるようなものである。劉備は愛に加え理念とビジョンで人を惹きつけ、見えない部下の心を一つに束ねた。


「君(君主)は船なり、庶人(民衆)は、水なり」という格言がある。船を君主とするならば、船は水しだいで、転覆もするし安定もする。転覆しないためには、民衆の信頼を得らなければならないという意とするなら、国政も企業経営も全く同じである。
歴史(劉備)から学び、実践することの意義は大きい。


来月コラムは劉備と対極的にある英雄曹操の人心掌握力について話していきたい。


平成28年9月30日


 

三国志から学ぶ(その3)戦略と兵站ー 戦略篇

先月コラムでは、戦いを勝利に導くための「兵站」=兵糧・武器弾薬の供給ルートの準備確保の重要度、および「兵站」と「戦略」は車の両輪の関係であり、どちらかが欠けると勝利に支障をきたすことを述べた。
今月コラムは整えた「兵站」を活用し、戦いに勝利するための「戦略」について進めていきたい。


では、戦略とは何か?一般概念としては全体の作戦計画の意である。企業経営では経営企画室のような部署を指す。
例えば技術部、営業部の専門部署が部分最適を目指すものであるとするなら、経営企画室は専門部署を活かすための全体最適を目指す経営本部であり、軍隊に置き換えると作戦を立案する参謀本部を指すのであろう。
つまり孔明と仲達は企業経営では経営企画室、軍隊では参謀本部を指し、トップに直接作戦を進言する役割(組織の要)を担っていた。その最良の策を探ってみたい。

(注:略称・諸葛亮孔明=孔明・司馬懿仲達=仲達)


「兵は詭道なり」という故事がある。戦いとは所詮騙し合いで、戦いに勝つためには、戦況に応じたいくつかの戦略を用意(戦略オプション)し、勝利するための最適な戦略を選択することが肝要であると示唆している。
孔明と仲達は、戦略の要諦「戦わずして勝つ」を最良の策として数多く用いた戦略家であった。
現在ビジネス社会でのM&A、国家戦略では外交政策がこれにあたる。そして二人の共通点は現実主義者であり、理論と実践を兼ね備えた実践理論の大家であったという点だ。


では、その優れた戦略の根底にあるものとは一体何であろうか?孔明が語った言葉の意味を紐解いていきたい。

1)「権謀(はかりごと)を術するものは、まず相手の望みを知り、静観する」 もし、自分が相手なら、こうしてくるだろう、と自分を相手に置き換えて考察し予測する意であろう。
まさに現代で言うマーケティングにあたる心理学そのものを示している。

2)「虚実(うそとまこと)と奇正(奇とは特殊なもの、変化するもの。正とは一般的なもの、正常なもの)=「万物の変化には虚実と奇正がある」仲達が大軍を率いて、そこに居ると思わせるためにあえて旗を見せるのは、逆から見ると、ここには居らぬということであり、狙いは別の場所にある。孔明は仲達の狙いを事前に読み切った。

3)「禍は必ずくる。禍福はあざなえる縄の如し、兵法の極意は何事も術ではなく道にある」 幸福と不幸は表裏一体で、交互に来るものであり、成功も失敗も縄のように表裏をなして、めまぐるしく変化するものである。
予想もしなかった出来事で絶対絶命の窮地に陥ったが、これにより事態が好転した。マイナスをプラスに、ピンチをチャンスに転じることの真理を説いている。今後の我が人生に染み入る金言である。


孔明の戦略の中で特に印象深い計略は2つある。その一つが「空城の計」だ。孔明が絶対絶命の状況下で、空城で一人香を焚いて琴を弾いている姿を見て、仲達は「これは孔明の調略だ」と兵を引いた。
これは過去の孔明との戦いでの苦い経験からくるものであり、用心深い仲達なら、またしても孔明の権謀であるかもしれないと思うことを事前に読んでいた。仲達の才を知り尽くした孔明ならではの戦略である。


二つ目に「死せる孔明、生ける仲達を走らす」孔明、生前最後の戦略として世に語り継がれた故事で、優れた人物は、死後にも生前の威力が保たれていて、生きている者を恐れさせる例えである。
孔明、仲達が交えた最後の戦い(五丈原の戦い)の最中に孔明は病死した。その知らせを聞いた魏の仲達は追撃を始めたが、蜀が反撃の構えを示すと、孔明が死んだと見せかける計略ではと疑い、あわてて退却した。
特筆すべきは、孔明が自分の死後の先までをも見通し、生前中に布石を打った点である。死んでもなお仲達の進攻を制した孔明の軍略には驚嘆した。


また仲達の戦略の凄さは何と言っても、正始10年(249年) 1月6日に70歳で起こしたクーデターであろう。
仲達は初代魏王の曹操、二代目の曹丕に仕え、そして三代目の曹叡が死去した機会を逃さず皇后の郭太后に上奏して、ライバルである曹爽兄弟の官職を解任する令を得て、これをきっかけに魏の全権を握った。
その背景には三国時代に覇権を争い疲弊したライバル達が時代の転換期を迎え次々に消え去ったことがある。
歴史というものは一瞬一瞬の連続の中で変わりゆくものであることを改めて実感できた場面であった。時の流れ、変化をどう読み、今、この瞬間にどう動くか?まさに仲達恐るべしである。


天才軍師と言えば、忘れてならないのは「赤壁の戦い」で有名な呉の周瑜である。孔明と仲達が、現実主義者で婉曲的であったのに対し、周瑜は自信家で理想主義者で、自分の策に酔うところがあり、自尊心(プライド)が高く、奢りとうぬぼれが強いように思える。
理想と現実とのギャプに感情が入る分だけ、冷静さ、柔軟性を失い、そのため孔明の先を見通した戦略により、後手にまわり煮え湯を飲まされたことは周知のとおりである。
戦略には冷静さが必要であり、それを狂わすのがプライドと感情であることを周瑜から学んだ。


「理論なき実践は暴挙なり、実践なき理論は空虚なり」の格言どおり、優れた実践理論から戦略と兵站(ロジスティクス)が生み出される。
それらを考察し、現場の最前線で指揮をとるリーダーたちは、つねに組織を正しく、新しい方向に動かす点(個)⇒線(部署)をつなぐ面(全体思考)の企画力が求められる。
トップを補佐し現在・未来の問題解決(ソリューション)を考え抜く孔明・仲達は、企業発展の礎になるのは企画力であることを示唆してくれた。


問題解決には現在・未来のソリューションもあるが、内(組織体制の維持)守りと、外(外敵との攻防)と戦う攻めのソリューションも存在する。
歴史的に見て国家が崩壊するのは、組織の後継ぎ問題から生じる権力闘争や、トップの求心力の低下等、必ず内部の問題から生じている。このことは中国史のみならず、世界史(ローマ帝国の崩壊)等の歴史が示している。


マネジメントの本質は人にある。来月コラムでは組織内の見えない人の心を一つに束ね、軍師孔明・将軍関羽・張飛らの専門家を活かし、組織力を最大化したトップ劉備玄徳の人心掌握力について話していきたい。


平成28年8月27日


 

三国志から学ぶ(その2)戦略と兵站(へいたん)ー 兵站篇

先月コラムでは、戦いで勝利するための最初の入口は情報入手であり、そこで得た情報を読み解く力についてを語った。
今月コラムは、それらの情報を有効活用し、戦いを勝利に導く、天才軍師達の「戦略と兵站」について進めていきたい。
(注:略称・諸葛亮孔明=孔明・司馬懿仲達=仲達)


三国志の中で、孔明・仲達の軍師達によって実に多く使われた言葉が「策(戦略)と兵糧(兵站)」であったことは大変興味深い。
三国志の戦い(攻防)の中で、「敵城をこのまま攻撃すべきか?今は撤退すべきか?」の判断材料、最終決断するキーワードは「兵糧」であった。
戦場で「この大軍を維持するためには、後何日分の兵糧が必要か?」等。三国志では、兵糧を敵軍に略奪されたり、焼かれたりする場面は確かにあった。


実はこの兵糧こそが勝敗の鍵を握る大変重要なポイントである。敵を前にして軍が撤退した多くの理由は長期戦で兵士が疲弊し、兵糧も尽き、軍の志気が低下したためだ。
まさに「腹が減っては戦はできぬ」である。兵糧は企業の経営資源「人・モノ・金・情報・時間」の中の「モノ・金」を指し、その「兵糧」部分を包括している「兵站」をどう考えるかが、戦いのプロ(孔明・仲達)が一番悩ます最重要課題だったかも知れない。では、その「兵站」の役割とは何か?・・・


「兵站」の役割には大きく2つある。

1)戦場で後方に位置して、前線の部隊のための武器弾薬等軍需品・兵糧・馬などの供給。

2)補充等のプロセス・補給路確保のための補給中継基地の設営(倉庫)・後方連絡網の確保。

兵站の要諦は「必要なものを」「必要な時に」「必要な量を」「必要な場所に」 の補給能力であり、現代用語でいうロジスティクスである。


多くの戦いの中で、短期決戦では勝敗がつかない場合も多く、長期戦に方針変更を行うこともある。
ただ、この長期戦の敗因の多くは「兵站」の不備からくる場合もあり、兵站の役割がいかに重要なもので、戦いの要であるかは、三国志をみてもよく判る。


兵站(ロジスティクス)の失敗事例として、ロシアに戦線拡大したナポレオンや、旧ソビエト連邦に進攻した第二世界大戦におけるドイツ軍等が挙げられる。
兵站を軽視し、戦略を重視したため、戦線拡大に走り、冬季(冬将軍)の到来と共に、拡張し過ぎた補給線を寸断され、その結果敗退した。


日本戦国史における、「兵站」の失敗事例を挙げるとすれば「関ケ原の戦い」であろう。東軍猛将の福島正則は戦場で目立つ武功を立てる戦いのプロであるのに対して、西軍総参謀の石田三成、大谷吉継は、比較的地味な目立たない用兵(予め戦う戦場を想定した軍の配置等)と兵站のプロであった。
関ケ原の戦いでは、当初三成、吉継らは長期戦を見通しての用兵と兵站の万全な準備体制を施したが、戦いは予想に反して、短期決戦(半日)で決着がついた。東軍総大将の家康の「狡猾、老獪」な戦略に敗れ去った。
この場合、兵站より戦略の方が上回ったということか?時として、歴史とは皮肉な結果をつくるものである。


「戦争のプロは兵站を語り、戦争の素人は戦略を語る」という格言がある。
この格言は兵站のプロである天才軍師孔明と仲達のことを指すのであろう。
「戦略」+「兵站」の両方をワンセットで考えると、戦いでの勝利の確率が高くなるのではと思える。
戦略と兵站は、ある意味、車の両輪みたいなもので、どちらかのバランスを失うと支障をきたす関係である。


戦争の勝利には、戦略は不可欠なものであるが、状況により前線を後方支援する兵站を優先することもありうる事を、今回三国志を通し学ぶことができた。


兵站の現代用語ロジスティクスに於いても、その基本概念に改良を加え、物流・経営管理コストのムダを削減する手法、考え方のSCM(サプライチェーンマネジメント)が更に進化しつつある。
過去の歴史(先人の知恵)が、現代に活かされていることに何とも不思議なものを感じる。


今月コラムは三国志天才軍師達の「戦略と兵站」の「兵站」に絞り込んだ。
来月コラムのテーマは三国志天才軍師達の「戦略と兵站」の「戦略」についてである。


平成28年7月21日


 

三国志から学ぶ(その1)情報を読み解く力

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という名言がある。今般三国志という中国古典を通じ歴史に学ぶ機会に恵まれた。
歴史が面白いのは、今自分が置かれた状況下に対し、自分が尊敬する歴史上の人物であれば、どう判断を下すだろうか?と想像できるからだ。


三国志は三人(蜀の劉備、魏の曹操、呉の孫権)の個性が異なる分だけ、志を目指す戦略・プロセス、生き方も三者三様で実に面白く興味深い。今月コラムのテーマは、「三国志から学ぶ(その1)情報収集⇒情報を読み解く力(分析/洞察力)」現代用語で言う情報リテラシーである。


日本の戦国時代、負け戦をした戦国大名の共通点の敗因は1.情報不足2.慢心3.思い込みと言われている。
織田信長が今川義元を打ち破った「桶狭間の戦い」での第一の功労者は、真っ先に今川義元を槍で突き刺した一番槍の服部小平太でもなく、義元の首を取った毛利新介でもなく、義元本隊の見張り役で真っ先に最新情報を伝えた簗田出羽守であった。信長は情報の重要性を第一に考えたからである。


情報入手が早ければ、早い分ほど十分な準備(手を打つこと)ができ有利になる。情報入手は最も重要な最初の入口なのだ。
三国志と日本戦国時代に共通しているものは、最初に情報を収集し、そこで得た情報を読み解く力(情報リテラシー)を活用した情報戦であり、まさに「情報を制する者は国を制する」と言えよう。


劉備には諸葛亮孔明、曹操には司馬懿、孫権には周瑜という名軍師がいたが、現代のように通信(電話・インターネット)がない戦国期や三国志の時代にどうやって正確な情報を入手したのだろうか?


三国志では正しい情報だけでなく、調略を用い、意図的に誤った情報を敵国に流し、情報混乱させる等、情報操作を行う場面が実に多い。
この情報は正しいのか?鵜呑みにしていいのか?正しいのか誤った情報なのか?これを判断をどうするか?情報は誰からか?どこから来たのか?その情報源は?等々。


①間諜 ・ 密偵(敵国の民衆の中に紛れ込ませた)情報手段は密書(木製)

②調略(待遇に不満がある敵国の将軍・宰相クラスを寝返らせ 敵国情報を得る)

③自軍からの「捜索」で敵の有無や位置を探る。

④「捜索」地形地勢についての情報を収集する。

⑤「索敵」敵が存在する可能性が高い状態で敵の位置を探る。(③~⑤は速馬を手段として用いる)


それぞれが入手した情報を読み解くためには情報分析力+直感力(経験に裏付けられたもの)判断力、人の心、心理を読み解く読心術、これらすべてを総合した洞察力が最後の決め手となる。
敵の兵力、この先、敵がどう考え、どう動くのかを洞察して、自軍の動きを決める。まさに「敵を知り己を知れば百戦危うからず」である。


特筆すべきは諸葛亮孔明の「人間洞察力」のみならず「地政学」である。敵国、自国の地理的な環境が国家に与える政治的、軍事的、経済的な影響力を読み切っている点だ。
自軍はどの地形(平地・山間部/谷・川・海)で戦うべきか?戦う時、タイミングは?天候(風向き、強風、雨期、乾期)を読み切り、天候を味方にして、勝利した戦は孔明の特徴であり、現代のマーケティングを思わせる。


現代の企業経営においても情報収集はもとより、その情報を読み解く情報分析力、情報リテラシー(ビッグデータ等)の進化には目を見張るものがあり、その重要度が年々増している。
ただそれらの定量化されたものに「洞察力」という定性化されたものが加わって、最強の情報を読み解く力(情報リテラシー)と言えよう。
三国志の軍師の恐るべき天才軍師(諸葛亮孔明、司馬懿)の人間洞察力(観察力と読心術)に、ただただ敬服するのみである。
来月コラムのテーマは三国志(その2)天才軍師達の「戦略と兵站」についてである。


平成28年6月27日


 

人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)

4月からはや1ヵ月。新入社員の中には当初思い描いたイメージとは違うことに戸惑ったり、予想しないことの連続の中で、将来の自分について不安を感じている人もいることであろう。
こんなハズではなかった、なんで自分がこのような仕事をしなければならないのかと悶々とする こともあるだろう。
青い鳥は今この環境にあることに気づかず、バラ色の人生は違うところにあるハズだと、現実を直視ぜずに永遠に青い鳥を探し続ける人がいる。
その人は果たして幸せなのだろうか?


中国の古い書物の中に有名な格言「人間万事塞翁が馬」がある。
中国では人間(じんかん)を日本で言う「人間」のことではなく、「世間(せけん)」という意味で表している。
塞翁が馬(さいおうがうま)とは城寒に住む老人の馬がもたらした運命は、福から禍(わざわい)へ、また禍から福へと人生に変化をもたらした。
まったく禍福というのは予測できないものであると書かれている。


この格言は元ヤンキースの松井秀喜選手の座右の銘でも有名だ。
彼は日本でのスター選手として不動の地位を捨て、あえて何も保証されていない異国(米メジャーリーグ)の地で困難な道を選び、多くの艱難辛苦を乗り越え、異国の地でも名声を得ることが出来た数少ない野球人である。


怪我をした時は、自分の不遇に寝られない夜もあったことだろう。
日本での過去の栄光をかなぐり捨て、目の前にある厳しい現実を受け入て、それに逃げずに立ち向かっていった。誰が選んだわけでもない。自分で選んだ道なのだと、現実を受け入れることで、不遇と思われたことが実は人生の糧となった。


たとえ自分が不遇の環境に置かれたとしても、長い目でみればそれは自分の人生にとって必要なことだと思える日が必ずくる。今日という日が良い日であるかどうかは自分の心が決めるものだ。
いまここにいる青い鳥を見ずして、はたして夢幻の青い鳥が見えるのだろうか?


新入社員の皆さん、苦しいときは「人間万事塞翁が馬」の言葉を思い出してみよう。
そして今あなたに寄り添っている青い鳥に気づき大切にし感謝してみよう。
そうしたら、きっと人生が好転することだろう。


長い人生において、無駄なことなどない。すべての経験が自分を培うものとなるだろう。


平成28年4月27日


 

あなたの中の「ドラえもんとのび太」

桜が咲き始めた。新生活を迎える方も多いことだろう。


特に新社会人になられる方は、就職という「夢」と「不安」で一杯だと思う。


「夢」という事でいえば、ドラえもんのアニメが頭に浮かぶ。


ドラえもんに登場するのび太は過去と未来に生きる夢見る子供である。自分の夢と現実の折り合いをどうつけるか?でいつもドラえもんを頼り

「人(ドラえもん)に頼ってばかりではダメだよ、うまい話はそうないよ、うまい話にのると痛い目にあうよ」

という、メッセージを発信している。他方ドラえもんは、現実に生きる大人が「大人になっても現実だけでない夢を見ることも忘れないでほしい」というメッセージを発信している。


作者は視聴者(読者)に何を一番伝えたいのだろうか?


のび太みたいになってはダメだよ。最初はダメだったのび太が、努力することでやればできる人間になるよということではないだろうか。


これは、ドラえもんがのび太に言った次の言葉に表れている。


「いーや、まだまだ努力がたりない。もっともっと頑張れるはずだ!!」


「ふだん、勉強しないのがいけないんだっ」・・・毎日コツコツ勉強すればこういう事にはならない。


「人にできて、きみだけに出来ないことなんてことあるものか」・・・・努力には意味がある。


「ほしいからって、なんでもかんでもかんたんに手に入ると思うのは考えが甘いぞ」


「誰の中にものび太はいる。厳しい現実を受け入れ、自力で最後まで解決していってほしい。ただ大人になっても夢は忘れないでほしい。他者を思いやり、仲間のためなら危険を顧みない勇気をもつことを忘れないでほしい。それが人の心を突き動かす。」


これこそが、これからの未来を担う若者達に残した故藤子・F・不二雄氏のメッセージであろう。


私達の中に「ドラえもんとのび太」の両方が存在することは間違いない。


頑張れ、新社会人!のび太である君が、いつの日かドラえもんの存在になって、社会で活躍することを願う。


平成28年3月30日


 

Giver と Taker

「Give and Take 」という言葉がある。「これをあげるから、それをくださいね」等商品に対する対価、あるいは会社から社員へ支払われる給与等が身近な例である。それは義務感=must・しなければならないという利害関係でつながっている言葉である。しかしそこには「Give and Take」の限界があることも事実である。
例えば、子供が褒められないとやらないとか、自分のことを認めてくれないとやらない等。人が見ているから勉強をする、仕事をするというように、承認欲求が強すぎて人が見ていないからやらない、小遣いをもらわないと手伝わないとすれば最悪である。
ただ子供に対して手伝ったお礼に気持ちとして、お小遣いを渡すことはよくあることで、これは気持ちを形にしてお礼として返す返礼のことである。これを社会に置き換えると気持ちを社会に還元するボランティア活動(社会との共存共栄=助け合いの精神)となる。
何かをしたから報酬を得る事と感謝の気持ちを形にして返礼することは似て非なるものである。


世の中すべてお金だけでは片付けられない。気持ちの問題もある。
金・金だけでは人間のあさましさが出る。気持ちで行動している人は、見返りが欲しくして行動するわけではない。お金はお金(経済)、気持ちは気持ちと、お金と気持ちは分けて考えるべきである。お金をくれないとやらないとか、人から道を聞かれてもお金をくれないと教えないとか、そうなると世の中の秩序はおかしくなる。


ボランティア活動や親の介護、また我が子への育児、教育は果たしてGive and Takeだろうか?
自分を育んでくれた国、地域、また親や子への慈愛、感謝から来るものである。今自分ができることをやる。誰かから施してもらったことを、世の中に返す。親から施してもらったことを、子供に行う。世の中は順繰り、順繰り、報恩感謝である。
例えば旅先でトラブルに合い、誰かの親切で助けてもらったとする。その恩をその人に直接返すことが出来ないなら、今度は自分が日常生活で人に親切にすることで恩を返す。そうすれば自ずと思いやり優しさ、また慈愛や謙虚さが育まれるであろう。


これを会社に置き換えると、自分が新人だった頃、先輩方から指導してもらった恩を後輩に同じように施すというように、自分は施してもらったが、他者には施さないという身勝手な考えではならない。


今の風潮として何々してほしい承認欲、他人への甘え、というTakeが先に立っているようでならない。
自分が認めてもらいたいなら他者を認めることが先であろう。
自分が何かの役に立っているという実感がもてたなら、それ以上の承認欲を持つ必要はない。
己がまず自律・自立し、人のために自分が役立つこと、やるべきことを責任をもって行う。
(与える人=Giver)人に施してもらうことが当たり前の甘えたTaker(うばう人)になってはいけない。


では自分はGive and Takeの人間なのか?
Take and Takeの人間なのか?
それともGive and Giveか?


Give and Take ではない、Give and Give(使命感)で自分が誰かの役に立つ(社会貢献)ことで真の豊かさが培われる。
自他ともに認められる人間になりたいものである。
まさに報恩感謝である。


平成28年2月25日