社長コラム

三国志から学ぶ(その20)企画

前回コラムはリスク(損失の予防)⇒課題(すでに起きてしまったリスク)として顕在化させ解決するソリューション(課題解決)について語った。今回コラムでは、ソリューションを目的として設定した場合に、それを手段として実現させる企画について考察していきたい。
(注:劉備玄徳=劉備 ・曹操孟徳=曹操・孫権仲謀=孫権 ・諸葛亮孔明=孔明)


「企画」とは何か?「こんなふうにしていきたいな…」という自分の考えを立案し、 設計(グランドデザイン)していく青写真のようなものかもしれない。企画とアイデアとの違いは、単なるアイデア(着想、思いつき)で終わるか、事業として企画を発展させていくかにある。アイデアをストーリー化し、道筋をつけた企画を、さらに具体化し、動かしていくのが計画であろう。
(リスク⇒課題⇒ソリューション⇒アイデア⇒「企画」⇒計画)


企業経営に於ける企画は大きく下記4つソリューションから構成されていると考察する。

1.現在ソリューション:今、目の前にある課題の中で早期(優先度、緊急性の高い)に解決すべき短期的なもの。
政治経済の混乱・突発的な事故・災害等・内紛等の緊急対応策。

2.未来ソリューション:短期的なものではなく、時間を費やして解決すべき中長期的なもの。
将来リスク(人・モノ・カネ)パラダイムシフト(構造転換・新商品サービス開発等)。

3.内部ソリューション:対外的なものでなく、内部環境的な要因を課題化し解決すべきもの。
資金確保・組織基盤の確立/ルール化・人材確保/教育・マネジメント・コンプライアンス・
セキュリティ・コミュニケーション(報告・連絡・相談等による情報共有化)。

4.外部ソリューション:対外的なもの、外部環境的な要因を課題化し解決すべきもの。
市場/競合分析・ブランドマーケティング戦略・営業力・SCM/ロジスティックス。


これを三国志(222~263年)に置き換えると、魏・蜀・呉の共通課題は「中国全土の統一」のため の領土拡大(マーケットシェア)および領内統制による天下取りにあった。そのための共通ソリュ ーションとしては組織基盤の確立=皇帝(ブランド)・軍師(戦略)・将軍(戦い)・兵力・武器 ・兵糧・資金・軍規・情報収集・兵站(SCM/ロジスティックス)・リーダー(決定者)・マネジメ ント(判断者)・専門家(専門職)の育成が挙げられる。

今回はその中から三国志の代表的な企画2つを取り上げていきたい。


「屯田制」
196年、曹操が耕す者がいなくなった農地に流民を集めて耕作させ、農作物を租税として納めさせた農政改革を目的とした制度である。 その背景には華北に於ける主導権を獲得した曹操が軍備を整えるために、戦乱で荒廃していた支配地を復興させる必要があった。 そこから上がる贅沢な食糧と租税収入は、国家財政、軍備増強に於ける大きな部分を占め、他の群雄を退け勝ち残る原動力となった。 「屯田制」を現代に置き換えると、未来ソリューション(内的リスクに備えたパラダイムシフト=構造転換)と内部ソリューション (組織拡充のための兵糧/ 資金の備蓄)を併せた、現実主義者曹操ならではの企画とも言える。


「天下三分の計」
208年、曹操軍は「赤壁の戦い」で劉備・孫権軍の連合軍に大敗し、南下を断念した。 この機に乗じて、孔明が劉備に進言したのが隆中策(りゅうちゅうさく)世にいう「天下三分の計」である。 これより後に劉備の蜀(中原=荊州、益州)・曹操の魏(華北)・孫権の呉(華南)による41年間の三国時代が始まった。 天下を三分することは、拮抗した勢力の均衡を保つための手段にすぎず、最終目的はあくまでも「中国全土の統一」にあった。 蜀の国力を充実させ、足元を固めた後に天下統一をもくろむという、天才軍師孔明ならではの壮大な企画構想であったことは疑う余地もない。


「天下三分の計」は、現代に置き換えると、時代を見据えた未来ソリューション(外的リスクに備えたパラダイムシフト=構造転換)および 外部リューション(ブランドマーケティング戦略によるマーケットシェア(領土拡大)を応用した、孔明による会心の大企画であった。


その一番大きな特徴は、劉備ブランド(求心力)を活かしたブランドマーケティング戦略 ⇒ SWOT分析(自軍の強み・弱み・機会・脅威)、 4C分析(国内動向・自軍戦力・敵軍戦力・兵站(SCM/ロジスティックス)=流通)にある。全体像からみた劉備ブランドをどう活かすか? 自軍の強みである最適性をどのポジションにもっていくか?敵国と対峙する蜀国の地域特性の基盤となる地形(山河)、地質、地層、気候等の 地政学を熟知しつつ、交通路の要所をどう押さえていくか?…軍師孔明はこれらの要素から生み出されるデメリットを上回るメリットの 背景から「天下三分の計」を企画構想し、差別化戦略およびブランドマーケティング戦略によるマーケットシェア(領土拡大)を図ったことが窺える。


企画の要点はこの先にある時代の変化を見通し、新たなアイデア(発想)で、新しいものを形にし、それがメリットにつながることであろう。 企画を実行するか否かの判断基準は、①所有する強みを活かすこと ②Before(実行前)、After(実行後)の成果が明確であること ③三方善し (買い手善し、売り手善し、社会善し)トリプルWin のシナジーがあること。それが楽しい、共感、幸福となれば素晴らしい。


今年の流行語大賞が「ONE TEAM」に決まった。日本中を熱狂の渦に巻き込んだ選手達の獅子奮迅の活躍に大変感動し勇気づけられた。 日本で初めて開催されたラグビーW杯は大成功を収めた。

世界が注目した大会関係者一同の素晴らしい企画に敬意を表したい。企画とは人の心を動かすものである。


次回に続く。


令和元年12月23日


 

三国志から学ぶ(その19)ソリューション

前回コラムはリスクマネジメントに於けるリスク(損失の予防)と課題(すでに起きてしまったリスク)の違いについて語った。今回コラムではリスクを課題として顕在化させ解決するソリューションについて考察していきたい。
(注:劉備玄徳=劉備 ・曹操孟徳=曹操・孫権仲謀=孫権 ・諸葛亮孔明=孔明)


先日東京国立博物館で開催されている三国志展に行く機会に恵まれた。会場には幅広い 年齢層の三国志ファンが訪れ大盛況であった。特に印象的な展示物は、迫力ある高さ約2m近くあろう関羽の銅像と、「赤壁の戦い」前哨戦で孔明が策を弄して奪い取った、曹操軍から放たれた10万本の矢をイメージしたスケールの大きな飾り付けであった。天井に張り巡らされた多数の矢と空間が見事に演出されており圧巻であった。


さて、三国志の歴史は後漢衰退期の黄巾の乱(184年)に端を発した群雄割拠、後漢滅亡後に魏・蜀・呉が建国して三国時代(222~263年)が始まり、魏による蜀の滅亡で幕が閉じた。この間41年、動乱期に於ける三国間での勢力争いの動きは激しく目まぐるしく変化した。最後は魏・呉を滅亡させた西晋により中国は再統一(280年)された。三国の盟主である曹操・劉備・孫権は、想定リスクを超えた予期せぬソリューション対応に追われ、気が休まることがなかったであろう。


三国志では数多くの戦いが行われた。その中でも特に有名で三国志の勢力の流れを大きく変えたと言われる大決戦が3つある。戦いが起きた年代順に並べていくと、次の通りである。

1.「官渡(かんと)の戦い200年=曹操軍vs袁紹軍」

2.「赤壁の戦い208年=曹操軍vs孫権・劉備連合軍」

3.「夷陵(いりょう)の戦い 222年=蜀、劉備軍vs 呉、陸遜軍」


「官渡の戦い」は、三国志前半の天下分け目の戦いであり、北中国の覇権をかけて進攻する袁紹軍10万の大軍に対し、曹操軍1万が本拠地で迎え撃ち勝利した大決戦である。この戦いが、その後の勢力図が大逆転するターニングポイントとなったことは疑う余地もない。
この戦いの流れを追っていくと下記のとおりとなる。


① 序盤曹操軍は勝利したが、兵力10倍の袁紹軍に徐々におされ劣勢になってきた。

② 持久戦で疲弊した曹操軍は打開策として、敵陣補給路にある数カ所の「輜重(しちょう)
=兵器・弾薬・食糧」の守備隊を襲撃し、袁紹軍を大いに悩ませた。

③ 袁紹軍は、その襲われるリスク対策として、数カ所ある輜重の集積場所を減らし、補給の円滑化を図るため、輜重を烏巣(うそう)1カ所に集めた。

④ この情報は袁紹を見限った内通者によって曹操軍に密告され、曹操軍5千が手薄な守備隊が守る烏巣を急襲し、食糧をことごとく焼き払い、袁紹軍は大敗北を喫した。


この戦いが始まる直前までは一番天下に近かったのは、曹操でもなく、劉備、孫権でもなく、誰あろう袁紹であった。では、何故袁紹はこの大決戦に勝利することができなかったのか?天下を取ることが出来なかったのだろうか?それを課題とソリューションの視点で紐解いていきたい。


●両軍共通の課題⇒持久戦による兵の疲弊・食糧不足・兵站(ロジスティクス)。

この場合、曹操軍よりも兵力10倍の袁紹軍の方が食糧不足には悩まされた。加えて度重なる曹操軍の輜重襲撃により食糧補給に難を生じ始めた


●袁紹軍の課題


①袁紹の猜疑心が原因で、部下との信頼関係が築けなかった。その結果、軍の統率力を失い、軍は内部分裂し、曹操軍への内通者(密告者)により敵に情報が洩れ、本戦の要点で弱点である輜重地である烏巣を急襲され大敗北を喫した。参考までにローマ帝国も外敵からではなく内部から崩壊した。


②曹操軍の烏巣急襲後に、トップである袁紹の優柔不断により判断と決断が遅れたこと。 誤った判断は軍を二手に分けたこと。主力を曹操軍本営攻撃に、急襲された烏巣にはごくわずかの救援軍を送るも待ち合わず結果的に勝利するタイミングを逃した。戦に勝利するための絶対条件である、天の時(勝利するタイミング)・人の和(統率力)共に欠けた。 決断のタイミングが早い遅いかは多くの場合、決断は遅かった時の方が後悔は大きい。


●袁紹軍のソリューション


①短期決戦を避け、持久戦で大軍の強みを活かし、敵軍を包囲し敵軍の疲弊を待つ。

②自軍から先に動かない。曹操軍と同じように敵の兵站である食糧補給路を断てば勝てた。


●曹操軍の課題


①兵力が袁紹軍の10分の1しかなく劣勢である。

②持久戦による兵の疲弊と食糧不足。


●曹操軍のソリューション⇒短期決戦による逆転勝利のチャンスを探す。

「官渡の戦い」の前哨戦「白馬の戦い」では、中国の兵法「三十六計」声東撃西(せいとうげきせい)=東に行くとも見せかけると敵は守りを固め、手薄になった西を攻撃するような陽動作戦を用いた。トップが優柔不断で指揮系統が乱れている時には効果的な作戦である。
曹操軍の一番のソリューションは、「烏巣急襲、焼き討ち」である。大軍である敵の要点と弱点(輜重地)に狙いを絞り、集中的に襲撃した。要点=そこを攻められると敵が困る所。弱点=攻めやすいところ。敵が守らざる所を攻める。敵の虚を突き一撃で勝敗を決する敵の要点と弱点である、敵が手薄で守らざるところを攻める。「烏巣急襲、焼き討ち」は、曹操の短期決戦による代表的な逆転勝利の戦である。


古今東西共通する基本的考え方はG(目標)⇒P(行動計画)⇒D(事象)⇒C(リスク要因分析⇒課題)⇒A(ソリューション)である。問題をどう課題化し、どう解決していくべきか・・・そのヒントを歴史は与えてくれる。それがソリューションである。


次回に続く。


令和元年9月10日


 

三国志から学ぶ(その18) リスクマネジメント

前回コラムのテーマ情報分析力のキーワードは考える力(思考力)であった。今回コラムでは情報分析力の中でも最重要課題、リスクマネジメントについて考察していきたい。
(注:劉備玄徳=劉備 ・曹操孟徳=曹操・孫権仲謀=孫権 ・諸葛亮孔明=孔明)


リスクマネジメントに於けるトップの役割は一体何であろう?それは最悪のシナリオを想定し、そうならないためにも事前に予防シミュレーション(損失の回避策)を考えておくことではないだろうか。それによって、仮に最悪な事態になったとしても、慌てふためくことがないからだ。


三国志「夷陵(いりょう)の戦い」は義兄弟である関羽、張飛を相次いで呉軍によって殺害された蜀軍(劉備)の呉軍(陸遜)に対する報復の戦いである。戦い当初は大軍を動員した蜀軍は勢いにのって呉領内に深く攻め込んだが、呉軍山間部の要塞により進行を阻まれた。そのため蜀軍は長期戦を想定して野外で守りを固めた。だが戦況は膠着状態に陥り、兵の疲労で軍の士気が落ちたところを、呉軍一気の総攻撃(火攻め)によって大敗北を喫した。この戦いで陸遜は2つの孫子の兵法を用いて勝利した。
1つめは「逸を以って労を待つ」=味方が劣勢の時は守りを固めて敵の疲れを待ち、敵の疲れに乗じて一気に叩いた。
2つめは「兵は拙速を聞く」=万全の態勢を固め、勢いにのった短期決戦によって早期収拾を図った。


劉備がリスクを見誤ったとすれば2つある。

①「絶地」=敵領内深く進攻したところには、長くとどまってはならない。

②中国故事「三十六計、逃げるに如かず」=撤退の時期を誤らないことである。勝ち目がない戦いは、一時的に撤退して戦力を温存し、反転攻撃の準備を行うことを示唆している。

劉備が軍師孔明の諫言を聞き入れたとすればリスク回避はできたであろう。これは企業経営者にも同じことが言える。トップは聞く耳を持たねばならない。ただ歴戦の強者であり兵法にも通じていた劉備の胸中を推しはかると、関羽・張飛を殺害された怒りと悲しみのために冷静さ(感情コントロール)を失ったことは疑う余地もない。


上記の計画の要所が「始める時に終わりを決める」であるとすれば、リスクマネジメントの要所は、戦いが始まり終わるまでの想定されるリスクの事前洗い出しにより損失を防ぐことである。

人の動き、時間の動き、状況の変化等、先を見通して動くことが肝要となる。


リスクと課題(すでに起きてしまったリスク)の関係を、医者の診断に置き換えてみる。
医者は患者が自覚していない病状について、医者が診断して初めて患者がリスクを自覚する。そこからリスク回避に向かって物事が動いていく。その課題を顕在化して、それを予防し治療することがリスク回避である。


(リスク=潜在的な問題。課題=顕在化した問題。リスクが顕在化すると課題となる)
潜在化したリスクを課題として顕在化させ解決することがソリューションである。
これに対し、真のリスクは潜在しているリスクが判らないことであり、最大のリスクはリスクをリスクと思わないことである。その予防対策としては常に危機意識をもつことに他ならない。


昨年は相次ぐ天災(西日本豪雨・大阪震度6弱・北海道震度7)に見舞われた。
自然災害の発生時に於けるBCP(災害時での業務継続等のリスク対策)がリスクマネジメントの
具体例として挙げられる。まさに企業はゴーイングコンサーン(企業継続)である。


リスクマネジメントに於けるトップの考え方は「ピンチ=リスクの中からチャンスを見つけることだ」と言われている。
松下幸之助の名言にも「不景気もまたよし」と記されている。景気の良い時には手を打たなかった社内改革が不景気の時には断行できた。不景気が会社を強くする。まさに「ピンチはチャンスなり」である。真の自信とはピンチをチャンスに変えることかもしれない。


昨年の世界の動きを一言で表わすと、ナショナリズム・政治・経済格差等の問題に端を発した「分断」にあった。これらの既に起こった事象に対す予防策(リスクマネジメント)は何かと問われると、歴史は仁(思いやり)と中庸(偏らなくて正しいこと)と教えてくれるような気がする。


令和元年1月7日