社長コラム

三国志から学ぶ(その21)時を待つ

赤壁の戦いで知られる中国武漢に端を発した新型コロナ感染拡大により世界の潮目が一挙に大きく変ろうとしている。回天の時(時勢を一変させること)、パラダイムシフト(社会全体の価値観の構造転換期)の到来である。我々はこの現実を受け入れ、不安を小脇に抱え、勇気を出して未来に立ち向かい、新しい生活に舵を切り替えなければならない。今回のコラムでは、三国志に登場する英雄たちの厳しい冬の時代から春の訪れまでの「時を待つ」について考察していきたい。
 (注:劉備玄徳=劉備・曹操孟徳=曹操・諸葛亮孔明=孔明・司馬懿仲達=仲達)


昔から中国人は「天」という言葉を好んで使う。
「人事を尽くして天命を待つ」有名な故事である。今自分でやれることを、すべてやり尽くし、結果は天の意思に委ねる。三国志にも「天命」という言葉は度々出てくる。
では天命に生きた三国志の英雄たちは、どのようにして「時を待ち、時を得たのか」をここで紐解いていきたい。


◆劉備玄徳 :蜀漢の皇帝 (西暦161~223)
三国志では劉備は前漢の皇帝の末裔とされている。高潔、謙虚、積徳の人。仁義をもって人心を掴んだ。衰えた後漢を再興しようと志を立て尽力したが及ばず。野心、私利私欲がなく義に生きた。劉備の「時を待つ」ターニングポイントは、①桃園の誓い②三顧の礼③天下三分の計である。

① 桃園の誓い:劉備、関羽、張飛3人の義兄弟の誓い(逸話)。

② 三顧の礼により孔明を軍師に迎え、志を共にした。

③ 赤壁の戦い後、孔明の「天下三分の計」により勢力を築き、時を得て蜀漢を建国し初代皇帝となる。苦難と失意を乗り越え、理想と現実のはざまで生きた劉備に、光が差した瞬間であった。

四耐「人生、冷に耐え、苦に耐え、労に耐え、閑に耐え、以て大事を成すべし」という言葉がある。四耐は人生の逆境にあるときである。逆境に耐えることで人の器(人物)をつくる。閑の時とは動けない、動きたくても、動いてはならない時、今でいうコロナ禍である。蜀漢建国に至るまで、劉備は生死の窮地をさまよいながら数多くの逆境に耐えに耐えた。そして、ようやく春が訪れた。情に厚く、忍耐の人、劉備の「時を待つ」である。


◆曹操孟徳 :魏の皇帝 (西暦155~220)
孔明の対局にある存在。現実主義者、野心家であり権威主義者である。農政改革による富国強兵を目的にした「屯田制」など合理主義者としても知られる。兵法家で優れた戦略家であり、また文人、詩人でもある。清濁併せのむ、冷徹で情に厚い、多才な英傑である。
曹操の「時を待つ」ターニングポイントは、①黄巾の乱②官渡の戦い③赤壁の戦いである。

① 後漢衰退期の「黄巾の乱」に端を発した群雄割拠時代での台頭。

② 官渡の戦い、袁紹軍からの大勝利。

③ 赤壁の戦い、孫権、劉備連合軍に大敗北。

曹操の「時を待つ」は赤壁の戦い後、敗戦の弁の中で語られている。
曹操の「敗戦とどう向き合うか。過ぎ去ったことは仕方がない。現実を受け入れ、今からどうするかが大切である。前を見てそこから早く立ち上げ、進むことができるかである。人生でトラブルに遭遇した時に、どう生きるかが問題である。」今のコロナ禍の中、曹操の言葉は私たちに勇気を与えてくれる。
リーダーは、打つべき手を打ち、希望を配り、時を待つことを忘れてはならない。


◆諸葛亮孔明:劉備の軍師(西暦181~234)
孔明の人物像は、有名な故事「泣いて馬謖を斬る」に評されている。馬謖を斬りながら、後に残された家族に対しては今までどおりの待遇を保護した。組織(軍規)を重んじる冷徹さと、私人としての人情深い温かさの両面を持合せていた私利私欲のない公人。大局観、人間観察力、情報収集力、洞察力、リスク分析、ファクトチェック(事実確認)の大家。
空城の計では、調略を用いて、用心深く猜疑心の強い仲達の心を攻め、心理戦を制した。
孔明の「時を待つ」ターニングポイントは、①三顧の礼②赤壁の戦い③亡き劉備の遺志を引き継ぐである。

① 三顧の礼(劉備の高潔、謙虚な人柄、価値観に傾倒)。

② 赤壁の戦い(地政学により風向を読み切り、曹操軍に火攻めで大勝利)後に、三国志の創案となる「天下三分の計」魏・呉・蜀の三勢力が拮抗し均衡を保つ手法を企画立案した。

③ 亡き劉備の遺志を引き継ぐ(宿敵魏との戦いに心血を注ぎ二代目劉禅を擁護した)。

魏の仲達と対峙した孔明の生前最後の戦い、五丈原の戦いでは知略の限りを尽くした。
この戦いのクライマックスは、孔明軍が宿敵仲達を追い詰め火薬に火をつけたが、その時、突然の雨が降り火は消え孔明のもくろみは外れた。この時に孔明が言った名言に「事を謀るは人に在り。事を成すは天に在り。」がある。その意味は「やるだけのことをやり尽くしての結果であるなら、それはもう仕方がない。天命を受け入れるだけだ」である。
孔明の「時を待つ」は、人事を尽くした上での、天命だったかもしれない。
最期(死に際)まで、劉備に忠義を尽くした忠臣孔明の見事な生涯であった。


◆司馬懿仲達:曹操の軍師(西暦179~251)
故事「死せる孔明生ける仲達を走らす」から見た仲達の人物像は、現実主義者、私利私欲が強い野心家。鋭い人間観察力(読心)、情報収集力、洞察力により相手の弱みをつく老獪、狡猾な知将である。ただ宿敵孔明との戦いでは何度も煮え湯を飲まされた。
仲達の「時を待つ」ターニングポイントは、①曹操の軍師となる②曹操の死③五丈原の戦いである。

① 曹操の軍師となる。② 曹操の死。すべては曹操との出会いと別れにより運命が動いた。
もし曹操と出会うことがなかったら魏は滅びず、西晋の建国はなかった。曹操から見ると、仲達の登用は有能ではあるが油断のならない両刃の剣であった。曹操はあの世で仲達を登用したことを、さぞや悔やんだことだろう。

③ 五丈原の戦い。孔明軍から追い込まれての絶体絶命のピンチの中から天命より活路を見出した。

仲達の「時を待つ」は、宿敵孔明の死後、曹操亡き後の一族の権力闘争に乗じ、一瞬のスキをついたクーデターより魏を滅亡させ、西晋建国の礎を築いたことに他ならない。猜疑心が強く、用心深さと警戒心(自分の心の中を見せない)を武器にして、相手の弱みを突き、一瞬のうちに獲物を捉える直感を活かした、仲達会心の一撃であった。
そこに至るまでの間、野望を胸に秘めつつ、辛酸をなめつくし、最後に大願成就を果たした。時の流れを読み切り、時を待ち、そして時を得た瞬間であった。三国志の英雄たちで「時を待つ」の主役は仲達であったのかもしれない。
余談ではあるが、五丈原の戦いの後に、仲達は「諸葛亮は天下の奇才だ」の故事を残している。三国志の英雄たちは敵同士ではあっても、互いを認め、敬愛していたことが窺える。
三国志の英雄たちの「時を待つ」は、その生き方、目的に応じてみな異なる。正解はない。
もし彼達であったなら、この思いもよらないコロナ禍にどう向き合い、どう動くか...
三国志とコロナ禍に共通するものは何か?


1.不安と共に生きる(立ち止まるか、立ち向かうか)三国志の英雄たちは、常に生死が隣り合わせの絶体絶命、生きるか死ぬかの絶望の淵で戦った。死の恐怖に感情を取り乱す場面も多々あった。立ち止まることは死を意味し、迫りくる危機に立ち向かうことで活路を見出した。島国で単一民族、農耕民族(村社会)である日本人は、群れたがり気質で不安を感じやすく、同調圧力(多数派意見に屈する集団心理)で思考停止状態に陥りやすい。
コロナ禍の今、一喜一憂せず、自分を見失わずに不安に立ち向かう人はやがて知恵が出る。
今は閑の時(動きたくても、動けない状況)である。もう暫くの忍耐が必要である。


2.現実を受け入れる。三国志の英雄たちは、常に現実を直視して、生きるか死ぬか、やるかやらないか、Yes ,Noの世界で開き直り、腹を括った。迷いが生じると判断を誤るからだ。既に起きてしまった過去を受け入れ、今に生きることで勇気が湧いてくる。
過去は受け入れるもの、未来は創り出すもの、今は生きるもの。コロナと共に生きる。


3.できることはすべてやり尽くす(諦めない、悔いがないよう精一杯に生き切る)
「艱難汝を玉とす」=人は多くの苦しみを経験して、立派な人間になる。逆境は人を強くする。「己を尽くして成るを待つ」という初代講道館館長、嘉納治五郎の金言がある。
勝負の世界では、負けたと思ったら、あなたの負け。何をしても勝とうと思わなければ勝てない。
勝ちたいが勝てないと思ったら、ほとんど確実に負けだ。勝とうと思うことが大切だ。


待つということは、単に空しい希望をもつことではない。目標に到達できる内的な確実さをもつことが、成功へ導く光を与えてくれる。弱さや短気は役に立たない。
そのことを三国志は教えてくれた。


「窮すれば則ち変ず、変ずれば則ち通ず」事態がどん詰まりの状態まで進むと、そこで必ず情勢の変化が起こり、変化が起こると、そこからまた新しい展開が始まる。
コロナ禍の今、世の中はパラダイムシフトを迎えようとしている。


すべてのことには季節がある。季節と同じように人にも春夏秋冬が訪れる。冬は幹に栄養を与える大切な時期。サクラは、寒い冬の時期に栄養を蓄え、やがて春に開花する。
春よ、来い。春の訪れを待つ。
「事を謀るは人に在り。事を成すは天に在り」、孔明の名言が心に沁みる。


次回に続く。


2020年12月21日