社長コラム

三国志から学ぶ(その15)全体最適と部分最適

前回コラムは、三国志に登場する人物の判断・決断を伴う時間の使い方(タイムマネジメント)と判断力の強化について考察した。
タイムマネジメントの要点は、全体の持ち時間の枠〈フレーム)に何を入れるかの、全体から部分を考察するグランドデザイン(全体時間設計)にあると述べた。
今回コラムはそのグランドデザインの本質にあたる全体最適と部分最適(全体からみた部分、部分からみた全体)について語っていきたい。

(注:劉備玄徳=劉備 ・曹操孟徳=曹操 ・孫権仲謀=孫権 ・諸葛亮孔明=孔明)


先般アメリカに行く機会があった。カリフォルニア州、オレゴン州、ネバダ州、アリゾナ州と訪問したが個々の州が一つの独立した政府であり、異なる経済状況と独自性は実に興味深いものであった。
これら50の独立した州政府を統轄した連邦政府によって異民族国家であるアメリカ合衆国が成り立っていることが改めて実感できた。
まさに企業での事業部制と同じある。ある一部の州や事業部が良好(部分最適)であっても、連邦政府や企業全体の経営が良好(全体最適)であるとは限らない。
それらは部分が全体を支える場合と、全体が部分を支える場合の相関関係にあることが判る。
そういう意味では、アメリカはこの広大な国土を合理性から生み出された全体最適と部分最適の仕組みと運営により調和を図った国であることが判る。


異民族国家アメリカが50州からなる連邦政府と民主主義による大統領制の比較的に歴史が浅い国であるのに対し、古代中国は古くから国の大半を占める漢民族を中心とした伝統的な中央集権的な王朝国家であった。
では何故中国はアメリカのような州政府(各州ごとの地方分権制)が出来なかったのだろうか?
おそらく中国を取り巻く北方からの侵略の脅威と地域間での大きな経済格差が原因となっていたのかも知れない。
古代中国の貧しい地域では経済的独立性を保持することが難しかったのだろう・・・


三国志はそれらの背景を基に漢王朝の衰退末期に三国間(魏・蜀・呉)で国家統一の覇権を争った英雄達の物語である。
筆者の三国志に於ける全体最適と部分最適(全体からみた部分、部分からみた全体)は、蜀の軍師孔明が劉備に進言した国土を三分して魏・蜀・呉での三国で中国を支配する策「天下三分の計」に見ることができる。
その背景には魏の曹操が勢力を増し、それを蜀と呉の二国で対抗しないと魏の曹操によって中国全土が支配されてしまう脅威があった。


孔明が劉備に進言した策「天下三分の計」の狙いは、一国を部分、中国全土を全体とするなら、北方(魏)は曹操に、南方(呉)は孫権に占有された状況の中で、劉備は二国(魏・呉)の間隙に位置する荊州(内陸部)の基盤を固め、形勢をみて中国全土の統一を目指すことにあった。
孔明の考える「天下三分の計」は、魏・蜀・呉の三勢力で拮抗した均衡を保つためのものではなく、手段であり最終目的は中国全土の統一にあった。「天下三分の計」はあくまでも天下統一というゴール(全体最適)に辿り着くまでのプロセス(部分最適)として位置づけたのであろう。
中国史における三国志の部分最適と全体最適との関連性は実に面白い。


中国故事に「一隅を守りて、万方を遺る」があるが、その意は一隅を守っていて大局的な判断を忘れてしまう。
一部分の最適性のみにとらわれるのではなく、全体の最適性を考える大局観を持てと言わんばかりである。


部分最適と全体最適の望ましい考え方は「木を見て森も見る」である。
企業経営に於ける部分最適と全体最適を整理すると、部分最適(木)は各部分の最大化を図ることである。
その目的は人・部署(事業部)の最適化と売上・利益の最大化だ。全体最適(森)は全体にとって最も望ましい状態を最大化することである。
つまり生産性・効率化向上のためのシステム化と組織全体の最適化(仕組みづくり)により、部分と全体の両方が最適化される状況をいかに創造するかである。


全体最適の例としては、部分と部分が絶妙な協調関係を保つ野球やサーカー等のチームスポーツがイメージできる。
野球やサッカーは、一人のスーパープレイヤー(部分最適)の力量のみで勝利(全体最適)できるとは限らない。
サッカーでも攻撃(オフェンス)と守り(ディフェンス)のどちらかに優れた部分最適があっても、攻守の切り替えバランスが悪いと勝利はつかめない。
部分最適が必ずしも全体最適にはならない。ここで言う全体最適とはチームの勝利である。
この全体最適の成果は部分と部分との結合力と調和がとれた強いチームとなってあらわれる。


プロジェクト管理の成功はQ(品質)・C(予算)・D(納期)のバランスで決まる。3つの要素の1つでも予定をオーバーすればプロジェクトは赤字となる。その回避策は5つある。

①スコープ(業務範囲の明確化)

②ゴール(全体像のイメージを掴む)から具体的なプロセス(各フェーズ・タスク毎の綿密な計画と進捗管理)の流れを掴む

③折衝・調整(社内外)

④リスク管理(リスク予測)

⑤コミュニケーション力(プロジェクト関係者との確認・相談)

である。


そして全体最適に何より求められるのは人的資源(人員配置・ルール化等のチームマネジメント)であろう。
プロジェクトメンバーが状況の変化にうまく対応し、自らを維持、成長させつつチームに貢献することである。
プロジェクト開始時の緻密な準備、段取りを怠ると、計画も崩れ、全体最適にはほど遠くなるのは必然である。


プロジェクトの最適性はリーダー(決断者)・マネジメント(折衝・調整・判断者)・専門職(専門家)の役割バランスによって保たれている。
組織では各役割別の最適性が全体としての最適性に紐づけられることが求められる。


部分最適と全体最適の共存を図るアメリカ合衆国は、異民族国家であるが故に、多様な考えを理解する力(多様性=ダイバーシテイ)と表現力(自分の言葉で、シンプルに、わかりやすく)等の対話力が何よりも求められてきた。
次回コラムは対話力の中心軸となる情報発信力(伝える力)について語っていきたい。


平成29年11月17日


 

三国志から学ぶ(その14)タイムマネジメント・判断力の強化

前回コラムは映画「レッドクリフ」からみた権限委譲における判断・決断の要諦は何かについて考察した。
今月コラムは判断・決断を伴う時間の使い方(タイムマネジメント)と判断力の強化について語っていきたい。

(注:劉備玄徳=劉備 ・曹操孟徳=曹操 ・孫権仲謀=孫権 ・諸葛亮孔明=孔明・司馬懿仲達=仲達)


企業経営に於ける経営資源には「人・モノ・金・情報」がある。その次にくるのは時間であろう。
今後時間の重要性が益々問われている。まさにTime is money=時は金なりである。
その時間をどう活かし、どう使うのか?時間(時代)の先取り、時間を制する者が市場を制する。
そのタイムマネジメントの要諦は大きく3つある。

①選択と集中

②個々の人材のコアコンピテンシー(適材適所)を権限委譲した時間管理術

③優先順位と劣後順位をつけた時間の整理=優先すべきものに時間を使う。


「汝の時間を知れ」ドラッカー博士の名言である。

「成果をあげる者は時間からスタートする。計画からもスタートしない。時間が何にとられているかを明らかにすることからスタートする。」

では、時間とは何であろうか?時間だけが人間に与えられた平等のものである。その時間をどう使うかによってその人の人生が決まるとすれば、「使命」とはその時間を何に(人の役に立つこと)使うかである。
三国志に登場する劉備、孔明、曹操のそれぞれの使命とは何であっただろうか・・・


三国志に登場する孔明、仲達は時間の流れを読み切るタイムマネジメントの達人であった。
両者共に抜きん出ている点は、反実仮想性(もし、こうなったら、こうしよう、こうすべきだ)と絶妙な間(タイミング)の取り方である。葫蘆谷(ころこく)の戦いでの孔明と仲達の反実仮想性、と絶妙な間の取り方は見応えがあり、まさに死闘そのものであった。
時間の使い方、時間の経過(敵軍の動きとそれに対応 する自軍の時間の使い方、読み方)タイミングを常に計っていた。
時間の流れをどう読むか?全体の持ち時間の枠(時間設計)と時間という枠(フレーム)に何を入れるか?
両者は時間のグランドデザイン(全体時間設計)の時間軸で、想定リスクと予期せぬリスクを時間軸に事前に織り込んでいた。
事前に想定することで時間の無駄を省くこと出来るからだ。
葫蘆谷(ころこく)の戦いでは、時を待つ(打つべき手を打ち、希望を待つ)ことの重要性を学んだ。


日常業務でも同じことが言える。全体時間設計の構築により、自己コントロールできるものと、できないものに
整理し、自己コントロールできるものだけに注力する。人・状況・時間にコントロール(支配)されるのではなく、それらを自己コントロール可能な時間枠(計画)の中に、やるべきこととして入れ込む。
計画の要諦は、始める時に終わりを決める。いつから、いつまでに何をするかの料理の段取り=TO.DO.LIST(買い物リスト)手順(仕込み)レシピ(いつから、いつまで何をする)=カレーライスの作り方と同じある。
全体像と目的が見えているか?優先順位は明確か?問題は相手の都合等の自分でコントロールできないことをどうするかである。
計画に落とし込めないYES(白)・NO(黒)のどちらでもないグレーゾーンをどう裁くか?
考え方としては、自分がどうしたいのか?主観でもいいから先に決めておくことが肝要である。
計画は手順・準備段取力・想定リスクの洗い出し、バッファ(余裕度)を最初に入れ込むことが求められる。


計画が出来るとそれを遂行する判断力をどう磨くか?弊社アイナスでは判断力の強化に力を入れている。
社員に考えさせる。こちらから答えは言わない。社員の考える力を奪うからだ。「君はどう思う、何故そう思うのか?」
答えは自分で考える。その強化ポイントには

①相談力

②思考停止ワードの撲滅

③感情コントロール力

④絶妙な間の取り方

⑤反実仮想性

の大きく5つがある。


①相談力とは、「自分はこう思いますが、いかがでしょうか?」であり「これは、どうしましょうか?」ではない。
「どうしましょうか?」では相談された相手も困る。相談対象がないからだ。まず自分の考えを先に決めて相手に相談することで、相手は相談内容の対象が判る。加えて確認力(思い込みを消す)+質問力(情報収集力)で強化される。
これにより提案、折衝、交渉力が磨かれていく。


②思考停止ワードは「状況がそうだから仕方ない・忙しくてやる時間がない・そんなこと言われても無理だ」
さて、これらの思考停止ワードの解決策はPDCAのC(原因分析)⇒A(改善計画)=これらをどう解決すべきであるかの創意工夫(知恵)、改善意欲がポイントになる。
では何故思考停止ワードになるのか?
原因は感情に捉われ、課題解決のための思考への切り替えが出来ないことにある。


③感情コントロール力について、実は判断力を奪うのは自分の感情である。感情が思考を消す。感情コントロール(冷静さを保つ)できることが正しい判断を行う上での大前提となる。
三国志でも董卓、袁紹、周瑜張飛が感情を取り乱す場面を目にしたが、感情を取り乱した方が冷静な判断力を失い不利な状況に追い込まれていった。
名軍師である孔明、仲達は感情コントロールの達人で、常に冷静沈着な判断力を保ちつづけた。感情が乱れると誰もが優柔不断となり目的を見失い冷静な判断が出来なくなる。
怒りをコントロールするアンガ―マネジメントでは、怒っている時には相手の言行に対しとっさに反応しない「6秒ルール」がある。
怒りの時に発した言葉が後で取り返しのつかないことになるからだ。三国志でもその場面を多く目にした。
特に決断者であるリーダーは感情コントロールに気をつけないと命取りとなる。冷静な判断を奪う怒りの時でも笑ってみよう。笑いが怒り(感情)を溶かす。


上記の葫蘆谷(ころこく)の戦いでの孔明、仲達の④絶妙な間(タイミング)の取り方⑤反実仮想性(もし、こうなったら、こうしよう、こうすべきだ)には驚かされた。名軍師たるゆえんである。
④絶妙な間の取り方は、早めのアラートを出すことにも通ずる。大火になる前の小火の時に火を消す。
小火から大火になる前までの間を消す。大火にならない前に鎮火する。大火になると手遅れになるからだ。
タイミングを見計らう重要性は、日常生活でもよくあることである。


⑤反実仮想性は、情報収集・人間観察力・洞察力・仮説検証・リスクの読み方・地政学・人と時の流れ等、日頃からの当事者意識によって磨かれる。


判断力の本質は、考えること(思考)であり、客観性(事実分析)である。
危険なことは感覚、思い込み自分の都合だけを考えた自分勝手な判断である。
日々感覚から思考へ落とす習慣を身につけるしかない。


判断力が求められるマネジメント(現場課題をどう解決するか考える役割)に対し、リーダー(マネジメントで判断したものを)決断することである。
最終決定者のリーダーは、常にあらゆることを決める人であり
全体像を把握しながら、資源(ヒト・モノ・カネ・情報・時間)の最適配分を行うことが何よりも求められる。


判断、決断の極意は、孫子の兵法「彼を知り己を知れば、百戦して危うからず」に、一面的な判断を戒めた言葉として後世に受け継がれている。
現在日本は他国からの脅威を受けている。現場判断とリーダーが決断を誤ると危機的状況に陥る。
リーダーは、時を待つ(打つべき手を打ち、希望を待つ)ことを忘れてはならない。


平成29年9月25日


 

三国志から学ぶ(その13) 判断・決断

前回コラムでは、映画「レッドクリフ」からみた権限委譲組織の前提となる「適材適所」について考察した。
「適材適所」の目的は、トップが個々の部下の持つ強みを知り、それを最大化することにあると述べた。
そのためには人間観察力(人間洞察力)が不可欠となる。現場責任を部下に任せる(役割分担)ことは権限委譲することであり、それにより権限委譲組織ができる。
そうなると組織を最適化する上での規律、現場判断力が求められる。
今月コラムでは権限委譲における判断・決断の要諦は何かについて語っていきたい。
(注:劉備玄徳=劉備・曹操孟徳=曹操・孫権仲謀=孫権・諸葛亮孔明=孔明・周瑜公瑾=周瑜)


一瞬の判断ミスで組織が窮地に陥ることは歴史をみてもよく判る。判断が常に正しいとは限らない。
時に人間は間違った判断をする。そのため情報を読み解く力、人間観察力、洞察力等を磨かねばならない。
正確な状況分析をしながら状況がどう動くか?相手がどう動くか?相手の心をいかに読みきるかにつきる。
決断とは、いくつかの判断の中から現時点で最適であると思われるものを選択し決定することであり、即断即決する場合と熟慮して決断する場合がある。
意思決定は時と場合にもよるが、状況に応じた実行スピードとタイミング等の柔軟性が大きく問われる。


判断と決断との違いは、判断(judgment)はマネジメントの役割、決断(decision)はリーダーの役割である。
何故なら、決断こそがリーダーに与えられた最大の役割(責任)であるからである。このリーダーの決断で歴史はガラリと変わる。
史に「もし」はつきものであるが、「もし」明智光秀が本能寺の変を決断実行しなかったとすれば、その後の歴史はどう変わっていたのか誰も想像もつかない。リーダーの決断は大きい。


では、何が正しい判断なのか?その判断力をどう培っていくのかを、映画「レッドクリフ」=「赤壁の戦い」から学んでいきたい。
曹操は、赤壁に大軍を率い長期的に呉に睨みをきかせることで、兵力の違いの大きさに圧倒された呉が降伏すると判断した。
曹操の読みどおり、当初呉は重臣筆頭である張昭を中心に降伏論で固まっていた。
そこに劉備、孔明と親交がある呉の宰相魯粛が、魏軍との抗戦を呉主の孫権に進言し採択された。
孫権の抗戦する判断、決断の決め手は、赤壁の戦いを想定した呉軍の得意とする強力な水軍の存在と、呉が魏に降伏することで、
中国全土は魏の曹操により統一され、呉は魏の傘下となることで自国の独立性を失うことであった。
劉備、孔明の立場から見た判断、決断は、呉が魏に降伏すれば、劉備、孔明が唱えた「天下三分の計」=三国により中国全土の治安の安定を図ろうとした構想が潰えることになる。
呉の降伏論は何としても避けたかそのため呉軍との連合軍により、赤壁に進行した魏軍の侵攻を阻止する必要があった。魏軍の思惑は
当初は長期戦であった。ところが疫病の発生、兵站の心配もあり短期戦に切り替えたことで大敗北を喫した。


前回コラムでも述べたが「火攻めの計」と「連環の計」、黄蓋(こうがい)と、ほう統が判断し進言した計を、決断採用し周瑜が孫権の容認を得たことで孫権軍の戦略方針が決定した。結果的に周瑜の決断は正しかった。
部下は何故、そのような判断に至ったのか?その根拠を決断決定者であるリーダーに明確に示す必要がある。


自軍と敵軍の戦力分析およびSWOT分析(強み、弱み、機会、脅威)長期、短期的側面からみたメリット、デメリット分析、失敗したときの最悪のシナリオを想定した打開策まで予め織り込んだリスク分析、マネジメント対策を事前に講じておくことで判断力を高めることができる。


判断力は理論(知識体系)と実践(経験)の両面から学ぶ。「理論なき実践は暴挙なり、実践なき理論は空虚なり」の格言もある。最初に感性(感じる)とロジック(思考)で敵の動きを観察する。次に現状分析から仮説を立て検証する。
ゴール(勝利)をイメージし、そのためのシナリオ(プロセス)構築を行う。自軍での勝利イメージ(共感)を共有するために、 2つのそうぞう(想像=感性イメージ・創造=思考分析)で仮説検証を行う。
バックキャスト(ゴールから今やるべきプロセスを予測する)とフォアキャスト(現状からゴールを予測する)予想ゴールと現状の両面からクロス予測するバランス感覚と、大所高所から俯瞰することが肝要となる。


次回は判断・決断に於ける時間の使い方、時間に支配されるのではなく、時間を支配するタイムマネジメント
・判断力の強化について語っていきたい。


平成29年8月31日


 

三国志から学ぶ(その12) -映画「レッドクリフ」からみた適材適所 後篇

今月コラムは先月に引き続き三国志から学ぶ-適材適所の後篇を語っていきたい。
先月コラムでは、組織リーダーの役割の一つに権限委譲があり、それを運用していくための権限委譲組織の必要性を説いた。
その権限委譲組織の基となるのが適材適所=それぞれの人をそれぞれに適した場所で用いることで組織全体をプラスにする。
適材(人のもつ強み)を適所(強みを活かせる職務)につかせる。
人にはそれぞれに違った才能(強み)、異なった持ち味がある。その持ち味をどう活かすか、相性はどうか、組み合わせは大丈夫か?それらをみるリーダーの力量も問われるところだ。


三国志に登場する劉備、曹操、孫権はリーダーとしての適材(資質)、器量がなければ国は崩壊したであろう。
リーダーという大きな器の中に部下達を入れ、適材適所を施し権限を与える。劉備が軍師孔明を使いこなせたのは、劉備のもつ大きな器(仁義・誠実)によるものであり、リーダーとしての適材があったことを証明している。
それと同時に劉備、曹操、孫権はそれぞれ自分のもつ器量、強みと持ち味を誰よりも知っていたのかもしれない。
ここで言う人の器量とは、大きく叩けば大きく音が鳴り、小さく叩けば小さく音が鳴る、大太鼓のようなものである。

(注:劉備玄徳=劉備 ・曹操孟徳=曹操 ・孫権仲謀=孫権 ・諸葛亮孔明=孔明)


料理に使われる素材にもそれぞれの持ち味がある。ニンジンがタマネギにはならないように、個々の素材の持つ特性 (強み)をいかに活かし、引き出すことができるかが料理人の腕となる。そのためには料理人は料理に合う素材の優れた持ち味(甘味・苦味、酸味)を知らなければならない。料理は適材(素材)が適所(料理メニュー)に活かされることで適材適所となる。その素材の持つ強みと弱みを上手く組み合わせることで美味しい料理が完成する。


料理と同じように組織の指導者も適正な組み合わせにより人を活かすことが大事である。その本質には料理人も組織の指導者も素材の持ち味(強み)を活かし合う「適材適所」が何よりも求められる。
組織では適材が適所につくことによって、その職責が最もよく果されるので全体としても活性化しプラスとなるのである。ちなみに活性化という言葉は化学用語の化学変化を意味すると言われている。
変化と言えば、個々の素材のもつ持ち味と相性関係はもちろんのことであるが、忘れてはならないのは「ちょっとした、さじ加減、料理の味付けは塩をちょっと入れることでガラリと変わる」のである。仕事も同じである。細やかなことに、どれほど気が使えるか?気がつくか?そういう人材が多く育てば会社は間違いなく発展する。


「権限委譲組織」の基である「適材適所」に必要な要素は主体性/自主性である。主体性は、物事に進んで取り組む力、指示を待つのではなく、自らやるべきことを、見つけて積極的に取り組む姿勢。同意語の自主性は、自分でいろいろと考え発想し、自ら行うことの意である。
その自主性をリーダーは部下から引き出し活かすことがリーダーの権限委譲する上での務めとなる。適材適所を見極め、権限委譲していく部下に主体性/自主性がないとすれば適材適所、権限委譲どころではない。組織は前段階としてまず権限委譲できる人材育成を行うことが大事である。
その人材育成とは

①部下は受け身であってはならない。

②人の非難ばかりする評論家にはならない。

③出来ないことを状況や人のせいにして自分を正当化をしない。

④つねに当事者意識(自分の問題として捉える)をもち、行動していくこと

である。その基礎ができた段階で部下に基本的な方針を示し、責任と権限を与え任せる。任せることで部下は意欲が育ち、知恵を発揮し、創意工夫が働く。それが出来るようになると、部下それぞれの持ち味が活きてくる。
人には人それぞれの持ち味があり、一人としてまったく同じということはない。仮に自分が他の人と同じようにやっても成功するとは限らない。互いの持ち味が違うからだ。互いの持ち味を活かす組み合わせも大事だ。
人の組み合わせの妙を知る。水と油のように相性が悪いものは避ける。まかせた後は信頼するのみである。


今年から新たに弊社アイナスは「2つのブランド力」という、組織の強みと社員個人の強みを「ブランド力」として、互いの強みを活かしあうことで、全体の成果に貢献することをスローガンにして掲げている。組織の強み(あの会社の商品サービスでないとだめだ)と社員個人の強み(あの人でないとだめだ)を繋ぎ合わせて価値観を共存させている。そのためには社員個人は自分を知ることが大事である。

①誰にも負けない自分の強みをもっているか?

②自分の強み分野を知る。

③自分の得意な仕事のやり方を知る。

④自分の強みを客観的に認識し、強みは伸ばし、弱みは克服して競争力を高める。

強みを成し遂げる能力の本質は習慣的な力である。自分の強みを知るには自分の期待値(出来栄え、時間等)より成果の方が上回ったことを強み、下回ったことを弱みとする。人との相対比較でもいい。ただ好き嫌いだけの単純なものではない。
弊社の適材適所の基本は、個々の社員の強みを活かし、弱みは他の社員の強みで補う、くさび形効果を目指している。権限委譲組織の基となる適材(人のもつ強み)適所(強みを活かした職務)の根底には主体性/自主性、当事者意識が存在する。


ここにケネディ米元大統領の名スピーチを紹介する。
「Ask not what your country can do for you ,ask what you can do for your country」
国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい。
これこそが「デモクラシー=リーダーがみんなを説得すること」である。この「デモクラシー」の反対語として「ポピュリズム」=リーダーがみんなの言うことを聞く」がある。
このバランスが大切であるが、筆者の私見としては、「デモクラシー」の方が「ポピュリズム」をやや上回ることで、良いバランスが取れるように思える。
何故ならそれが利己主義(自分さえ得すれば何をしてもいい)とは違う民主主義だからである。会社もまったく同じである。
「社員を満足させること」と「社員が満足すること」は違う。どう違うか?前者では社員は受け身的であり、会社から給与をもらうので働くことになる。後者には働いた報酬として会社から給与を得る主体性/自主性、当事者意識が存在する。


弊社はケネディ米元大統領が最も尊敬した日本人と称した江戸中期の米沢藩主,上杉鷹山の三助の思想である「自助・互助・扶助」を教育理念に取り入れている。


平成29年6月23日


 

三国志から学ぶ(その11) -映画「レッドクリフ」からみた適材適所

先月コラムでは三国志から学ぶ軍を動かすものとはについて次のように述べた。軍が目的・目標を共有し、使命・責任(役割)がその軍の背中を押し上げる。
その大前提は大きく2つ。

①組織のルール化(法)=トップ・軍(ミドル+現場)の秩序維持。

②人の長所を活かし合う適材適所の実施=権限委譲組織の構築の実現。

これにより、組織の信頼関係が強まり、士気が上がる。今月コラムは、その権限委譲組織の基本となる、人の長所を活かし合う適材適所について語っていきたい。

(注:劉備玄徳=劉備 ・曹操孟徳=曹操 ・孫権仲謀=孫権 ・諸葛亮孔明=孔明)


三国志の面白さはそれぞれ異なる目的を持つ三国の盟主(蜀の劉備・魏の曹操・呉の孫権)の立場、考え方、動き方の違いである。
また盟主を支える軍師・知将・猛将達の知力武力の限りを尽くした三国の領地(現代の顧客市場・新規開拓市場)獲得の争奪戦は実に興味深い。その争奪戦の一つに、映画「レッドクリフ」のタイトルで大ヒットした「赤壁の戦い」が挙げられる。
荊州を難なく攻略した曹操はその勢いのまま、孫権のいる呉へ攻め入ろうとする。大軍勢を率いて長江に南下してきた曹操軍約20万に対し、劉備・孫権連合軍約5万が迎え撃ち大勝利した三国志の中でも最も有名な戦いである。


何故、劉備・孫権連合軍は大軍の曹操軍に大勝利することが出来たのか・・・
開戦当初、孫権は曹操軍との戦いに弱腰であった。劉備の軍師である孔明は、自身の提唱する天下三分の計(弱小の劉備が国の三分の一を獲得する)をかかげ、劉備軍の生き残りをかけ、孫権を説得し連合軍を組んで曹操に立ち向かわせることに成功した。
劉備・孫権連合軍に対する曹操軍の強みは圧倒的な兵力の数であった。そのため連合軍が勝利するには短期決戦に持ち込む必要があった。逆に曹操軍は連合軍に重圧をかけ降伏させる長期戦の方が望ましい。
三国それぞれの軍組織の強みを分析してみると、曹操軍の強みは圧倒的な兵力、孫権軍の強みは経験豊富な水軍にあった。
劉備軍の強みは軍師孔明の智略と将軍関羽・張飛・趙雲の勇猛さであった。孔明は孫権配下の魯粛との外交交渉を成功させ、魯粛を通じて孫権軍の大提督周瑜らを抗戦派に取り込んだ。


筆者からみた「赤壁の戦い」での連合軍の勝因が4つあるとすれば、第1の勝因は劉備軍と孫権軍とを連合軍にすることに成功した孔明の「智略」である。もちろんこれに賛同した呉の魯粛の高い見識にもよるが・・・残りの3つの勝因は戦場を赤壁に選んだその地形に加え、「水」「火」「風」を巧みに活かし自然を味方にした戦法であろう。
第2の勝因として孫権軍の強みである水軍を活かした「水」である。ただ勇猛な呉の水軍をもってしても曹操軍との兵力差を埋めることが出来ず、まだ勝ち目は薄い。そこで孫権軍の将軍黄蓋(こうがい)が大提督周瑜に「火攻めの計」を進言し、これを周瑜が採用した。この火攻めを効果的にするために、ほう統が周瑜に対して、孫権の兵士達が船酔いしない様曹操軍を調略し、曹操軍の船同士を鎖でつなげる「連環の計」を進言し実行した。後にほう統は劉備に仕え軍師となる。
第3の勝因は「火攻めの計」と「連環の計」との見事な連携であり、その基となるのが「火」にあった。
第4の勝因は、孔明が東南の風を吹かせるために、祈祷によって吹いてきた「風」にある。「水軍」「火攻めの計」「連環の計」「風」の連携効果により、曹操軍は大船団が炎上し大敗北を喫した。
これを機に孔明が提唱した天下三分の計が動き出したのである。


この「赤壁の戦い」から、人の長所を活かし合う「適材適所」の事例を随所に学ぶことができる。
適材適所は人の持つ強みを最大化する。この大戦では連合軍を企画した孔明の「智略」、これに賛同した呉の魯粛の高い「見識」、呉の水軍を率いた大提督周瑜の「統率力」、火攻めの計・連環の計を進言した黄蓋、ほう統の優れた「戦術」、東南からの風を予測した孔明の「地政学」など、それぞれの持つ強みを活かし合うことで成し得た適材適所の勝利の事例と言えよう。


この適材適所の本質は「適材」=人のもつ強みを活かし、「適所」=与えられた職責につくことにより、全体がプラスに作用することであり、それぞれが持つ違う才能や持ち味を活かし合うことで発揮されることである。忘れてはならないことは、適材適所は権限委譲組織の基本である。


権限委譲組織では、上司から責任と権限を委譲された部下は自分本位で好き勝手に動くのではなく、上司に報連相(報告・連絡・相談)を行う事が大原則となる。
何故なら部下は失敗するリスクをとることもあるが、全体責任をとるのは部下でなく上司であり、部下から報連相がないとすれば、上司は大所高所に立った適切な判断、決断が出来ない。
部下にあるのは上司から与えられた現場責任であり、部下は全体責任をとる立場ではないからである。そのため権限委譲する際、上司は部下に責任範囲をはっきりと示しておく必要がある。
任せる(委譲)することで部下は責任感と判断力が増し、任せることが最高の人材開発につながる。しかし誰にでも権限委譲すればいいことではない。
各人の力量、知見、能力に応じた権限委譲が大事である。


企業でも大きく経営の視点から組織診断のための分析ツールとしてSWOT分析(社内の強み・弱み・社外の機会・脅威)が用いられている。
誰にでも強み弱みはある。組織を構成している個々の社員の強み弱みを分析し、それぞれに適した所に配置することで、その人の持ち味が活かされ力が発揮される。


徳川8代将軍吉宗を補佐した思想家儒教家である荻生徂徠の徂徠訓には
「人はその長所のみを取らば、すなわち可なり。短所を知るは要せず。かくして、上手に人を用うれば事に適し、時に応ずる人物、必ずこれにあり」と書き記されている。
次月に続く。


平成29年5月31日


 

三国志から学ぶ(その10) -軍を動かすものとは?後篇

今月コラムは、先月に引き続き三国志から学ぶ- 軍を動かすものとは?の後篇について語っていきたい。
先月が組織(軍)を動かすことの基本篇とすれば、今月はその応用篇である。

(注:劉備玄徳=劉備 ・曹操孟徳=曹操 ・孫権仲謀=孫権 ・諸葛亮孔明=孔明)


組織管理のコツは公平・公正の精神と信賞必罰「寛=温情主義・厳=厳しい態度」である。
いかに賞され罰せられるかによって人は左右される。そのために企業では就業規則、プロジェクトチームにはルールが存在するように、国には憲法・軍には軍法が定められている。
三国志で有名な故事「泣いて馬謖を斬る」では、孔明は指示に従わなかった馬謖に対し「軍法を守らずして、どうして敵を破ることができようぞ」と泣いて愛する部下を斬罪に処した。ただ厳し過ぎるだけでもいけない。相手の反発を買うからだ。人を叱るには、激しい態度で臨んではならない。相手に受け入れられる限度を心得ておくべきだ。上に立つ者は怒鳴るような叱り方はしてはならない。
三国志演義では衰退した漢帝ではあるが、史記によると、漢の高祖劉邦は秦を滅ぼした直後、従来の複雑な法令をすべて廃止し、「法は三章のみ」とし①人を殺した者の死刑②人を傷つけた者の処罰③盗みを働いた者の処罰にとどめた。これにより劉邦の支持は一気に高まったという。厳罰を最低限にとどめ、その分だけ人を信頼することが政治の肝であろう。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」 何事もほどほどの中庸が大切である。


劉備・曹操・孫権は、配下の将軍と軍(将校・兵隊)に対し、褒章・慰労・感謝で接し、恩情をかけ大切に扱い、部下を愛した。そのため部下達は命がけで王を守った。
三国志の戦でも「もうだめだ」という絶体絶命の場面が多々あった。軍が総崩れしてパニック状態になった時の対処の仕方が肝要だ。危機の時に組織の在り方が試される。
窮地の時に劉備・曹操は部下によって幾度も助けられた。


現在経営ではCS(顧客満足)とES(社員満足)という言葉がある。
CSが一番という企業もあるが、弊社ではESが一番であり、社員第一主義。社員が居るからこそ会社経営が出来るのである。社長一人では何も出来ない。社員に感謝である。
論語に「民、信なくんば立たず」とあり、信=信義の確立の重要性を説いている。事業を成功させるには3つの条件

①天の時(実行タイミング)

②地の利(立地条件)

③人の和(内部の団結)が求められる。


事業は人で成り立つ。組織は権限委譲されたミドル(中間管理職)と現場に判断を求め、トップが決断する。
これが意思決定の基本であろう。その判断力のある部下の育成が組織の要となる。


企業はトップの下に居るNo2とミドルにどのような人材がいるかで評価される。トップが言ったことを、No2がトップの意を汲んで通訳しミドルに伝える。ミドルがNo2と同じように現場リーダーに伝える。
時をひとつに、力をひとつに、心をひとつに、このようなトップ・ミドル・現場との一体感がある組織は強い。


最近モチベーションに関する言葉をよく耳にする(モチベーション・マネジメント等)・・・モチベーションを辞書で引くと、
「動機づけ、決心する原因となることがら、行いの目的」と記されている。
以前某企業の社員の中から「モチベーションが起きてこない、上がらない」と耳にしたことがある。
好き嫌いや気分に関係なく、目的・目標と責任によって自分自身を動かすという経営者感覚を社員全員が持つと、企業は繁栄する。
組織は目的・目標を見て前向きに進み、窮地の時は責任(自分に与えられた役割、任務を全うし)が背中を後押しする。
大切なのは使命と責任である。ぎりぎりの状況の中で任務(責任)を果たす。与えられた仕事を自分のものにできるかが問われるところだ。
組織は目的・目標を前に見て、使命・責任で動く。そうなれば士気(物事を成し遂げようとする意気、何かをやろうとする気迫)が自然と生まれる。


組織が使命・責任で動くとすれば、トップはその権限を組織に与えなくてはいけない。そうすることで権限委譲組織ができる。
権限委譲組織ではリーダーシップとそれを支えるフォロワーシップの関係構築が大切となる。
チ―ムを下から支えてくれるフォロワーに権限を委譲し、その結果に対しての全責任を取るのがリーダーの役割である。
権限委譲の基本は、野球をみればわかるように、人の長所を見極める適材適所である。


弊社も最初はMust(義務感)からであった。仕事だからやらなければならない、給与をもらっているから、上司の命令だからという他律(外圧で動く)という段階から、個々が自律(内圧で動く)というShould(使命感)の段階へ教育レベルを上げた。Should(使命感)によって、一人ひとりが役に立てる存在であることに価値を見出すようになる。
自分の意志によって動く、当事者意識をもつ、自分が主役である、誰かの何かの役に立つ存在であるという意識改革である。
ただ人は簡単には変わらない。その前提として、何かしらの仕組みを構築し、その仕組みの上で意識改革の効果が表れると信じ、現在進行中である。自分が自他共に認められる存在だからこそ、別の個である相手の存在価値を認めることが出来、個々が互いに尊敬し合う仲間となるのである。


軍を動かすものとは・・・ 軍が目的・目標を共有し、使命・責任(役割)がその軍の背中を押し上げる。
その大前提が大きく2つある。

①組織のルール化(法)=トップ・軍(ミドル+現場)の秩序が保たれる。

②人の長所を活かし合う適材適所の実施=権限委譲組織の構築が可能となる。

これにより、組織の信頼関係が強まり、士気が上がる。


ここに元連合艦隊司令長官、山本五十六の名言がある。
「やってみせ、言ってきかせてさせてみて、誉めてやらねば人は動かじ」人は尊敬している誰かに認められ動くものである。
組織の見えない人の心を一つにどう束ねるか?リーダーの持つ役割の意味は大きい。


平成29年4月25日


 

三国志から学ぶ(その9)- 軍を動かすものとは?

先月コラムでは三国志から学ぶ-WHY(目的)・HOW(目標)・WHAT(計画)について三国志に登場する国王(蜀の劉備・魏の曹操・呉の孫権)をそれぞれ異なる立場で語ってきた。
周知のとおり、三国志は漢王朝の権威・権力の衰退により、国の秩序と経済が乱れた時代を描いた書物である。三国志の志とは「土の下に心がある。心根がある。武士(士)の下に心あり」と書くが、その心には三国それぞれの王の想い(国体を成す秩序の回復等)があったことだろう。
今月コラムでは、国王を支える軍を構成する将校、兵隊の立場に置き換え、「軍を動かすものとは?」について、その本質を語っていきたい。

(注:劉備玄徳=劉備 ・曹操孟徳=曹操 ・孫権仲謀=孫権 ・諸葛亮孔明=孔明)


三国志に登場する組織階層は大きく分けて

①トップ(国王・軍師・参謀=役員クラス)

②ミドル(トップと現場をつなぐ将校=部課長クラス)

③現場(兵隊=現場社員)

の3層から構成されている。人間の身体も組織と同じようにトップ(頭)・ミドル(背骨・胴体)・現場(手足)から構成されており、神経路のようにトップの頭(脳)が命令したことで身体(ミドル・現場)が動く。これは三国志だけでなく企業組織も全く同じである。
頭が指示命令しても身体が動かないとすれば、これは一大事である。組織も身体も一体でなければならない。
トップは指示命令したことがミドル・現場にどれほど理解され伝わっているのか心配になる。
逆にミドル・現場からみると、トップが指示命令したことが理解不能であれば組織は機能しなくなる。トップが自分の考えを理解してもらいたいのであれば、まず先にミドル・現場が考えていることを理解する必要がある。コミュニケーションの本質は相互理解だ。


三国志に登場する将校・兵隊の立場では、王がどれほど自分達のことを考えているのか気になるところだ。
筆者の座右の銘は「3つのつ①伝える②つかむ③つなぐ」である。
①は理念(経営・教育)を言葉で伝える。リーダーは言葉を語り、言葉は行動をつくり、行動は習慣をつくる。
②は人の心(人心掌握)・本質をつかむ。「大業の成就を願うならば、人心は仁義をもってつかむもの」は劉備玄徳の名言である。
③は人と人、シーズとニーズ、過去・現在から未来へつなぐである。人の心と心をつなぐと信頼へとなる。


では、三国志に登場する軍(ミドル・現場)を突き動かすものとは一体何であったのだろうか?
あの人(国王)のために戦う。あるいは自分のために戦う。人それぞれであろう。戦いは時の運や勢いもあるが、それにも増して大切なことは軍が戦うことへの納得感が有るか無いかではないだろうか?
軍が他律的、外圧に動くとすれば、利害(恩賞)・恐怖(戦わないと殺される)・権威・権力であろう。いわゆる義務感=Must(しなければならない)の世界である。
他方自律的、内圧では目的・目標(大義・志)・忠信・情愛・使命感=Should(好き嫌いに関係なく、ただ目の前のやるべきことを行うこと)で己が認められ、社会の役に立つ存在として動くのであろう。
もちろん最初から自らの志を遂げようとする意志力=Will(成りたい自分になろうとする意志の力)が出てくるのが理想ではあるが、そう簡単にはいかない。義務感(Must)を超えた、使命感(Should)、最後に意志力(Will)という段階的プロセスが求められる。まず軍が使命感(Should)を感じ、動くことが基本となる。


とすると軍の使命感はどこから生じるのか?リーダーの役割(責任)は①方向性を示す②権限委譲する③組織を整える④模範(下からの尊敬・信頼)の4つである。そのためには理念(価値観)という旗印を掲げその旗の下に軍兵は集まる。
進むべき方向性が明確になると、軍兵が前に進もうとする意志の力が生まれる。理念の力は大きい。そしてトップと軍(ミドル・現場)をつなぐものは強い信頼関係である。
軍は自立した個と個が互いに助け合うチームである。そして軍はトップからの扶助(信頼)により結ばれている。


「組織の精神はトップから生まれる。組織は信頼によって成立し、信頼はコミュニケーションと相互理解によって成立する」(ドラッカー)。信頼関係が強固になると軍の士気が上がる。
三国志では他国に勝利するため屈強な軍の育成を10年もかけ教育訓練する場面が多々あった。そうなると教育理念が必要となる。


弊社アイナス教育理念には

三助「自助(自立)・互助(協力)・扶助(信頼)」

三意「熱意・誠意(嘘ごまかしがないこと)・創意(工夫)」・意欲・感謝

を掲げている。
三助は・点(自立した個人)⇒・線(点と点をつなぐ)⇒・面(線と線をつなぐ)イメージである。


人材育成の根幹は「資質・環境・教育」と言われている。人の資質を見出し、教育を施し、環境(質の高いチームづくり)が何よりも求められる。
環境と言えば、元メジャーリーガー松井秀樹の恩師である星稜高校の名将山下智茂監督の名言「花よりも花を咲かせる土になれ」を思い出す。栄養ある土壌(組織文化)が素晴らしい人材(花)を育てることは疑う余地もない。


次月へと続く。


平成29年3月30日


 

三国志から学ぶ(その8) - WHY(目的)・HOW(目標)・WHAT(計画)後篇

今月コラムは、前篇に引き続き三国志から学ぶ-WHY(目的)・HOW(目標)・WHAT(計画)の後篇、
呉-孫権について語っていきたい。

(注:劉備玄徳=劉備 ・曹操孟徳=曹操 ・孫権仲謀=孫権 ・諸葛亮孔明=孔明)


筆者がWHY(目的)・HOW(目標)・WHAT(計画)を意識して用いるようになった最初のきっかけをお話ししよう。
以前アップル創業者故スティーブ・ジョブズが出演していたTVプレゼン番組を視聴する機会があった。
彼のプレゼンは「アップルがこの商品を企画開発したのは、どのような意味・価値があるのか?何のためにアップルは何故この商品を企画開発する必要性があったのか?」(=WHY意義・目的)から始まった。
次に「その目的を実現するにはどうするか?」(=HOW目標)、続いて「この目標を達成するためには具体的に何をいつからいつまでに実行するのか?」(=WHAT計画)の流れであった。
当時、弊社は自社開発ITパッケージ(プロジェクト管理ソフト「PM-BOX」)の販促プレゼンにおいて、いかに商品の訴求ポイントを絞り、簡潔明瞭に表現するかで悩んでいた。そんな時偶然にも出会ったジョブズのプレゼンスタイルは印象的で、そこから新商品企画の考え方を学んだ。


さて、本題の今月コラムに入ろう。前回までの「三国志から学ぶ」では蜀の劉備と孔明、魏の曹操と仲達を中心に述べてきた。三国志は蜀王劉備、軍師孔明、将軍関羽・張飛に対抗する魏王曹操、軍師司馬懿を中心に描かれているためだ。呉の孫権の場合、劉備・曹操と同世代であった孫堅(孫権の父)が早く戦死し、その後に呉の家督を継いだ孫権の兄(孫策)も暗殺されたため、その遺志を引き継ぎ皇帝となった孫権の登場が遅くなった。


地政学的にみて、天下掌握に一番「地の利」があったのは中国の中央部に領地を所有する魏であり、中央部から外れた所に領地を所有する蜀(山間部)、呉(沿岸部)の天下掌握は、地理的にみても不利な状況にあった。では、呉王孫権のWHY(目的)・HOW(目標)・WHAT(計画)とは・・・


○呉-孫権
孫権は同世代ではない劉備、曹操と比べて単純に比較しづらい人物ではあるが、魏と蜀からの圧力に屈することなく呉を守り切った才覚のある君主であることは疑う余地もない。
その呉王孫権のWHY(意義・目的)は中国全土を支配することではなく、自国の国政安泰の保持であったと思われる。では、どうやって国政を保持したのか?
そのHOW(目標外交手段・戦略)は、自国を攻めてくる敵国に対する利害関係を共にする国との同盟政策(政治外交)を軍師周瑜・魯粛の智略で補ったことである。
そのWHAT(計画)は、魏軍の進攻に対し、劉備軍(後の蜀)との同盟による抗戦である。その代表的な戦いとして「赤壁の戦い」が挙げられる。
呉の孫権は、この戦いで天下掌握のため呉を進攻する強国魏に対し、呉と蜀の同盟軍で魏軍に大勝し、呉国内の独立性を保つことが出来た。有名な格言「呉越同舟」は、普段仲が悪い者同士も窮地には一致協力するという意味であるが、まさにこの赤壁の戦いはこれにあたる。

孫権は魏の曹操や蜀の劉備と比べると地味なリーダーであったが、部下の長所を巧みに引き出し、そのため有能な人材が多く育ち、彼らの活躍によって群雄割拠の三国時代を生き残ることができた。
その例として、長年呉を支え続けてきた軍師周瑜・呂蒙亡き後にも、陸遜という名軍師が登場し「夷陵の戦い」で蜀軍の劉備に火攻めで圧勝している。孫権の人材育成の成果を表す故事に「呉下の阿蒙に非ず」がある。呉の立派な将軍になった呂蒙を指した言葉で、以前呉の都にいた頃の蒙君ではなくなったという意味で使われている。


○WHY(目的)・HOW(目標)の文化の違い
WHY(目的)・HOW(目標)の言葉は文化の違いにも使われる。以前筆者はドイツ系外資企業に勤めた経験がある。
勤務当時に感じたドイツと日本との共通点は、勤勉さや規律性(内部統制―組織基盤の確立・ルール化)であった。
これに対し文化の違いは、ドイツが何故のWHY、ロジック(目的、原因分析)から体系的、合理的に物事を考え、制度、仕組み等の構築力が優れているのに対し、日本は過去の経験則に基づいた気づき力、どうやっての方法論を重んじたHOWの感性(対策改善)からくる応用力、改善力に優れていることであった。
WHY(原因分析)ロジックの考え方を重んじたドイツに対し、WHYを深堀せず、HOW(目標・対策)、感性を重んじる日本との対比は大変興味深いものがある。
ちなみにマーケティング先進国アメリカでは何故を5回繰り返し(5WHY)原因の深堀を行うことで、見えてくる原因の根幹に辿り着く手法がある。元々狩猟民族で、獲物(市場)を捕獲するマーケティング手法(市場の潜在ニーズを顕在化させる)を主とする欧米と、元々農耕民族であり、マーケティング後発国である日本との文化の違いは大きい。


目的と手段という言葉は日常的によく使われる言葉である。「給料を会社からもらうから働く」という考え方では、給与が目的となり、働くことは手段となる。逆に「働いた成果報酬として給与を会社からもらう」という考え方になると働くことが目的となり、その報酬として得る給与は手段となる。
では企業の場合はどうであろうか?何のために会社は存在するのか?
企業の目的は自社の理念・使命・ビジョンの実現であり、その実現のための手段が金となる。売上は目的ではなく手段(目標)であることを忘れてはならない。


では、筆者は本コラム「三国志から学ぶ」を一体何のためにやっているのだろうか?
その答えとなるWHY(目的)は、温故知新(故きを温ねて新しきを知る)からトップの理念、使命、権限委譲、決断力等を現代経営に活用することであり、そのHOW(目標)は三国志を読み解くことで得るソリューション(問題解決)の本質を知ることであり、そのWHAT(計画)は本コラム(頭の整理をしながら)の掲載である。


筆者が心掛けていることがある。自身が難しい状況下に置かれ、大きな決断を下す時に、孔明であれば、この状況をどう判断、決断するだろうか?自分を主人公に置きかえて、今自分が何をすべきか?一番正しいと思われることを考えてみる。歴史はその道標となる。三国志から学ぶは次月へと続く。


平成29年2月25日